スバルショップ三河安城の最新情報。スバリズムレポート第3弾「ステルス技術の全貌。」完全版:U-2からF-22まで。| 2019年2月6日更新

 

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たった、13km/h。失速と空中分解の瀬戸際で飛行する、U-2。

U-2が飛ぶ70,000ftの高空では空気も薄く、空力学的効果も遥かに弱まります。そのため、宇宙服を装備したパイロットには慎重かつ冷静な判断が求められました。速度を上げれば、バフェットに見舞われ空中分解に。速度を下げれば、失速して防空網の餌食に。その差は、たった13km/h。

上空遥か70,000ft(21,000m)まで駆け上がり、ソ連国境を突破。対空ミサイルと迎撃機を眼下に認めつつ、ソ連の軍事施設や軍備、そして核開発施設をくまなく撮影する。それがU-2のミッションです。

パイロットは、敵地上空を防空網の凄まじいプレッシャーの中、バフェットと失速の狭間で最大10時間に及ミッションを遂行するのです。

 

自称:ロッキード社員。実態は、CIAへ出向した空軍パイロット。

U-2 NASA
 

ホワイトハウスが、U-2が気象観測機であることをでっち上げるために、わざわざ撮影された写真。出典:NASA

万が一、撃墜の際にパイロットが身柄を拘束されると、米国政府に累が及びます。

そのため、U-2のパイロットは軍を退官し、給料はロッキードが支払いました。胸ポケットにはコインが入れてあり、中の青酸カリで自らを「始末」できるよう備えてもいました。

ただ、気象観測機のパイロットが「始末」用の装備を持ち歩くはずありません。生死に関わらず、検分すれば自ずと「怪しい人物」が「キナ臭いミッション」の実行中であったことは露見したはずです。

なお、運用は空軍施設は使うものの、オペレーションの多くはロッキード社員が実施していました。

ソ連領空を飛ぶU-2の存在は、公式には一切秘匿されました。米国にとってそれは明らかな国際条約違反でしたし、防空軍の無能ぶりを晒すことになるため、ソ連にとっても不都合だったのです。

 

一大事!米国本土で極秘の機体が、にぎやかな休日の藤沢に不時着した!

藤沢飛行場

U-2が不時着した藤沢飛行場。:1961年
国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより

U-2のミッションは、対ソ連のみではありませんでした。中国や北朝鮮、ベトナムも重要な戦略目標でした。そのため、U-2は早くから日本の厚木や嘉手納に展開し、数多くの偵察ミッションを実施しています。

1959年9月24日午後3時過ぎ、神奈川県の藤沢飛行場に正体不明の航空機が胴体着陸を敢行します。機体はオーバーランした後、草地でやっと停止します。あってはならない、U-2の不時着事故でした。当日は秋分の日であり、グライダーを楽しむ人々で賑わっていました。U-2は米国の最重要機密ですから、現場はすぐに米兵が封鎖。現場検証に訪れた警察も排除されました。不時着機を撮影した者は、家宅捜索を受けた上に米国の守秘義務誓約書にサインさせられたと言います。この事件は、後に黒いジェット機事件として有名になります。

 

U-2がソビエトに撃墜され、拘束されたパイロットはすべてを自白!

Khrushchev U2
 

[左]U-2の残骸を視察する、フルシチョフ書記長。出典:Wikimedia Commons [右]有罪判決を受けるパワーズだが、後に東側スパイのルドルフ・アベルとの身柄交換で釈放されることになる。

 

ホワイトハウスが喉から手が出るほど欲しい情報を、キレイな写真で教えてくれるU-2。ソ連はその存在を苦々しく思っていたに違いありません。もしかしたら、何人かは強制労働行きとなったかも知れません。ただ、ソ連のレーダはU-2を捕捉していたものの、撃墜には至りませんでした。

ところが、U-2にもその日が訪れます。1960年5月1日、フランシス・ゲイリー・パワーズの操縦するU-2が、ソ連上空で対空ミサイルの餌食となったのです。

残骸を回収したソ連は、ここぞとばかりに米国を厳しく糾弾します。対する米国は防戦一方。NASAの気象観測機が操縦不能で、などという戯事を信じる者は何処にもいませんでした。しかも、パワーズは生存しており、ソ連の劇場裁判で自らのミッションが戦略偵察であったことを自白してしまうのでした。

合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは、すべての戦略偵察の停止を指示。米国は、冷戦下の情報戦で圧倒的不利に追い込まれます。

 

空対空ミサイルから逃れるなら、レーダーに見つからなければイイ。

U-2 Project RAINBOW
 

レーダ反射を減じるため、ワイヤーが張り巡らされた垂直尾翼。
写真出典:CODE ONE MAGAZINE by LOCKHEED MARTIN

CIAは、U-2より高性能な戦略偵察機を求めていました。U-2の天下が、永遠に続くはずがなかったからです。U-2プロジェクトのCIA側の責任者であったリチャード・ビッセルは、スカンクワークスにU-2のレーダ反射断面積低減について検討を求めてきます。

レインボー計画と名付けられたこのプロジェクトに対し、スカンクワークスはいくつかのアイデアを検討します。壁紙と呼ばれたアイデアは、機体表面を電波吸収材料で覆うもので、これはRAM(レーダ波吸収素材)へと発展します。さらに、機体形状の前縁に並行してワイヤーを張り巡らせ、そのワイヤーにグラスファイバー製のボールを取り付けました。これは、機体内部骨格に反射するレーダ波を減じようという努力なのですが、壁紙は機体内部の熱拡散を阻害することが大きな問題となります。

 

絶対に知られてはならぬ、低観測性という未知の性能。

JASDF F-15J
 

60年代に開発されたにも関わらず、低観測性技術はまったく適用されず、巨大なRCSを持つF-15。
写真出典:航空自衛隊

結局、レーダ反射を大きく減じるには、機体の新規開発が必須との結論に至ります。これが、ステルス技術への第一歩となります。第一回会合は、1956年8月16日のこと。終戦から、たった11年。米国は世界に先んじて、低観測性という未知の性能の重要性に気が付いていたのです。

ステルス技術の存在が初めて公にされたのは、1988年11月10日のこと。何と32年後のことでした。米国は30年以上に渡って、ステルスという概念を秘匿し続けたのです。以後、F-4、F-14、F-15、F-16、F/A-18と、米国は世界に誇る傑作戦闘機を開発していきますが、これらにはRCS低減が図られた形跡は一切ありません。F-15などは、とてつもなく大きなRCSを有しています。

ステルスは、計り知れない可能性を持った技術でしたが、決してソ連の手に渡してはならない技術でもありました。もし、RCSが極端に小さいソ連の核爆撃編隊が実現したとしたら。。。

 

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