モータースポーツ「スバルがWRCで輝いていた頃」 [2014年05月31日更新]
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スバル大躍進のキッカケ。それは、WRCの栄光から。
1980年代、低重心、コンパクト、シンプルでありながら、安定性、ドライバビリティに優れる、ボクサーエンジン+AWDという世界でも稀なパッケージングに、スバルはその将来性を見出していました。スバルは、このパッケージングの技術優位性を広く一般に証明するための「フィールド」を必要としていました。
それが、WRCへの参戦理由でした。
スバルワールドラリーチームは、1990年から2008年までの19年間の参戦で、ドライバーズ、メイクスタイトルをそれぞれ3回、1995年にはドライバーズ、メイクスのダブルタイトルを獲得。インプレッサの鮮やかなブルーは、コリン・マクレーの伝説的なドライビングにより、WRCの歴史と人々の脳裏に刻み込まれています。
そして伝説に。
スバルが、WRCで成功できた理由。それは、STIがデイビット・リチャーズ率いるプロドライブとジョイントする参戦体制にありました。デイビット・リチャーズは、トム・ウォーキンショーと共に、ビジネスとしてモータースポーツを成功させた人物として今に知られており、現在は高級スポーツカーメーカーのアストンマーチンの筆頭株主でもあります。
プロドライブがイギリスでマシンを製作し、STIが日本国内でエンジンをチューンする。この分業制が、成功の鍵でした。
そして、スバルワールドラリーチームは新進気鋭の若手、コリン・マクレーを抜擢します。
「Mc-Crash(マクラッシュ)」、それが彼の異名。手の施しようがない彼の異次元のスピード。しかし、彼のドライブしたラリーカーで原型を留めてフィニッシュしたものは、ただの1台もありませんでした。彼が築く廃車の山。誰もがその才能を知りながらも、彼を諦めていました。
その彼が、インプレッサと出会った時から化学変化が始まったのです。特にカルロス・サインツが加入した1994年になると、次第にそのスピードをコントロールできるように。そして、1995年。彼はついに王座にたどり着くのです。
初めての戴冠。しかも、ドライバーズ、メイクスのダブルタイトル。眼前を鮮やかに駆け抜けるブルーメタリックのボディは、その野太いボクサーサウンドとともに、インプレッサWRXは伝説になったのです。
WRCで得たもの。
スバルが参戦した19年間、WRCは技術の過渡期にありました。市販車ベースのGr.Aから、改造制限が大幅に緩和されたWRC規定への移行。4WDシステムは、アクティブデフを組み合わせた高度な電子制御4WDへ。エンジンは、年々高度に電子制御化されていきました。
「EJ20」エンジンは19年間隅々まで開発し尽くされ、厳冬のスウェーデンから灼熱のアクロポリスまであらゆるコンディションの中で、強大なトルクを絞り出し続ける柔軟性と完全なる信頼性を獲得するに至りました。
スバルはWRCを通じて得た技術や教訓の数々を、余すところなく市販車へとフィードバックしていきました。この「技術的優位性の証明」は成功を収め、今まで見向きもされなかったスバルは世界各地に「スバリスト」を着実に増やしていったのです。
スバルとモータースポーツ。
スバルの成功の鍵は、WRCにありました。トヨタやフォードといった巨大メーカーを蹴散らして、名も知れぬ日本のマシンを駆って、マクレーが豪快にカッ飛んでいく。その姿こそが、スバルをスバルたらしめました。コリン・マクレーの唯一のタイトルがスバルによるものであったことは、より深くスバルを印象づけています。
惜しくもコリン・マクレーは2007年ヘリコプター事故でこの世を去りましたが、その死を悼むイギリスの人々が行ったパレードに集まったインプレッサは実に1100台。そのパレードもまた、新たなる伝説となりました。
2000年代前半まで戦闘力を維持したインプレッサですが、2006年以降WRカーは急速に低重心化とコンパクト化が進行、ボディが大柄なインプレッサの成績は急降下していきます。また、水平対向エンジンは補機類のレイアウト上の問題から、エンジンとミッションの搭載位置を下げられず、マシンバランスにも苦しみました。そして、ついに2007年には撤退へ。
WRC撤退以降、スバルは残念ながら世界選手権に姿を現していません。鮮やかなブルーのマシンが、一陣の風を残して駆け抜けたあの時代。そんな時代がまた訪れることを、今は願うばかりです。
2006年、スバルの闘いの記録
2006年のスバルワールドラリーチームのドキュメンタリーです。2006年と言えば、撤退のちょうど1年前。苦戦が続き、徐々に継続的な参戦に暗雲が立ち込めてきた頃です。
当時、小生もスバルファンとしてその復活を信じており、STIのメールサービスで送られてくる各SSの結果に一喜一憂していたことを思い出します。
スバルワールドラリーチームはこの後も苦闘を続けますが、表彰台の獲得で精一杯。その中央には遠く、翌年末をもって撤退に至ります。