米ソ宇宙開発競争。フォン・ブラウンとコロリョフの奇跡の生涯 その5 [2025年09月24日更新]

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第58回クラブ・スバリズム開催予告:「チャック・...

2021年03月28日 クラブ・スバリズム

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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

お問い合わせ:0566-92-6115

担当:余語

 

国家を欺き、ソビエトを宇宙へ導くコロリョフ。

徐々に溶かされる分厚い氷。宇宙への扉が徐々に開く。

宇宙へ。コロリョフとティホンラヴォフの努力は無駄ではなく、分厚い氷の壁は少しずつ溶け始めていました。クレムリンは、次第に宇宙の価値を認識するようになっていたのです。1954年6月28日、「宇宙研究のためのN/R計画について」法令が発行され、7月6日の国防省令により、全産業組織に強力を要請。プロジェクトを国家的最優先事項として位置づけたのです。コロリョフの悲願たる宇宙への道は、漸く拓けつつありました。

コロリョフは、宇宙研究の意義について、2つの意味でクレムリンを納得させることができました。一つは、軍事的な要素です。地球周回軌道に人工衛星を配備することができれば、欧州はおろか米国国内まで隅々まで見下ろすことが可能になります。彼らの行動は逐一白日の下に晒され、手の内を全て知ることができます。つまり、偵察衛星の実現です。ただ、それだけが目的ならば、偵察衛星の実現に目処が付くまで、計画は後回しにされるでしょう。実現を急ぐには、別の理由が必要でした。それは、クレムリンが最も重視するであろう、民主主義に対する共産主義の勝利、つまりプロパガンダでした。人類史に永遠に刻まれるであろう宇宙への第一歩は、忠実なる共産主義者によって成されるべき。R-7の実現を目前に控えたコロリョフは、そうクレムリンを煽ったのです。軍事的意義を強調することで従来通りの支援を軍部から得つつ、政治的側面を強調することで早急な決断を迫ったのです。

カプースチン・ヤールに代わる新たな発射実験場。

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左のカプースチン・ヤールから飛行する経路では、ヴォルガ川上空の人口密度が比較的高い地域を飛行する。これに対し、右のトゥラタム(現バイコヌール)から飛行する場合は、そうした懸念は無用である。Google Earthより。

V2及びR-1以来、ソビエト最大の発射試験場として、数多くの偉業が刻み込まれてきたカプースチン・ヤール。ところが、R-7の発射試験に適当ではないことは、早々に明らかになります。

射程8,000kmに達するR-7の発射実験を行う場合、世界最大の面積を誇るソビエトと言えど、東西いっぱいに距離を取る必要があります。ところが、カプースチン・ヤールから飛行経路を計算すると、R-7はヴォルガ川に沿って北東に上昇するため、飛行経路下に人口密集地が多数存在する他、トルコに設置された西側レーダに探知される可能性がありました。発射試験に失敗すれば、西側の知る処となり、大々的に報じられ、極秘計画が白日の下に晒されるリスクがあったのです。そこで、安全と情報秘匿を考慮して、新たな発射試験場が必要と判断されます。

1955年2月12日、政府調査団は4つの候補地を選定。この中から、カプースチン・ヤールから西へ約1,300km、カザフスタン中央部のトゥラタムという村近郊に広がる一帯の大草原を次なる発射試験場に選定します。タシケントーモスクワ鉄道から採石場へ向かう支線から程近く、資材搬入に多くのメリットがありました。また、最寄りの町から100km以上離れた砂漠地帯のど真ん中にあり、北東方向には700kmに渡って砂漠地帯が続くうえに、飛行経路下に起伏が少ないために無線誘導にも最適な立地だったのです。

ミサイル発射ではなく、宇宙基地に最適だったトゥラタム。

選定の決定打は立地ではなく、コロリョフの推挙でした。R-7がICBMなのは、表向きのこと。コロリョフは、R-7を最高・最善の宇宙ロケットとして開発してきました。ならば、新たな発射実験場は、宇宙ロケット発射に最適であるべきです。弾道ミサイルの発射実験場なら4箇所は同等。しかし、人工衛星打ち上げを考慮すれば、最適なのはトゥラタムでした。

ボールを投げると、ボールは放物線を描いて地表に落下します。当たり前のことです。ボールの投げるスピードを速くすれば、ボールはより遠くに落下します。これも当たり前のことです。もし、ボールのスピードをどんどん上げていくことが出来たら、どうなるでしょう。ボールはもっと遠くまで飛ぶようになり、遂には地表に落ちることなく地球を周り続けるようになります。この条件を満たす最低速度が、第一宇宙速度:7.9km/sです。

ところが、地球の何処でも7.9km/sが必要な訳ではありません。赤道直下では6%少ない速度で軌道投入可能です。それは自転速度を利用するからです。地球は西から東に自転しており、自転速度は極点ではゼロですが、赤道上では464m/sに達します。赤道直下で西から東に向かって打ち上げる場合、464m/sを差し引いた7.4km/sで軌道投入が可能なのです。

つまり、発射場は赤道に近いほど、人工衛星の打ち上げに適しているのです。だからこそ、コロリョフは4箇所の中で最も南にあるトゥラタムを選んだのです。

1955年1月、先遣隊到着。不毛な大地での極限の労働。

1955年1月12日、過酷な不毛の大地に建設部隊の先遣隊が到着します。彼らの任務は、引き込み線の建設。本格着工へ向けて、資材を積載した貨物列車を受け入れるべく、インフラ建設を優先したのです。

ただ、遮るものも何もない砂漠は、地球の墓場。夏には最高気温は45℃に達し、冬の最低気温は-36℃にも達します。風速40mに達する強風が毎日吹き荒び、水を現地で確保することは不可能。彼らは工事の進捗よりも、自身の生存を考えねばならない有様でした。

最初に建てられたのは、粗末な駅舎と給水塔。そして、2階建ての鉄道労働者向けの宿舎。一方、作業員に充てがわれたのは、遊牧民のテント・パオのみ。1月〜2月は猛吹雪が吹き荒れ、厳寒が作業員を容赦なく痛め付けます。その中でも、彼らは前進を試みます。

ソビエト核戦略の中核を成す国家プロジェクトにも関わらず、建設部隊の生活環境は極めて過酷でした。生鮮食品など手に入る訳もなく、食事は缶詰と乾パンのみ。水の衛生状態も不十分でした。乾燥した大地はいつでも砂塵の中にあり、歯は常に砂で軋んでいて、自動車は昼間でもライトを使わねばなりません。人間の営みを拒否せんばかりの過酷な環境下でも、作業の遅滞は決して許されません。

最初の2ヶ月間、先遣隊は氷結したシルダリヤ川からセッセと氷解を切り出します。この氷は、酷暑下で大いに役立ちます。天然の冷蔵庫となって、食品の腐敗を防いだのです。

トゥラタムで一気に本格化する建設工事。

5月、建設責任者ゲオルギー・シュブニコフが到着。この後、人々は24時間体制で国家プロジェクトに従事し、その人数は日に日に増加していきます。駅には貨物列車がひっきりなしに到着。ソビエト各地から建設資材が次々に届けられます。しかし、倉庫の整備は行き届かず、折角の資材もうず高く積み上げられるばかりでした。それでも、人類の歩みは偉大です。僅かずつでも、宇宙への橋頭堡が着実に築き上げられていくのです。

トゥラタム一帯には、大規模な組立棟に加え、上級士官向けの住宅建設が開始された他、食料調達用に養豚場まで建設されます。国家プロジェクトとは、恐るべきもの。不毛の大地に、決して地図に載ることのない秘密都市が、一夜城の如く突如現れたのです。

7月に入ると、3,000人以上の建設要員が作業に従事し、工事は一気に本格化します。トゥラタムの建設規模が遥かに巨大になった理由は巨大なピットにあります。小さなIRBMならば地上発射も可能ですが、R-7のような巨大なロケットとなると、エンジンが発する巨大な熱量が発射施設を破壊してしまいます。そこで、発射時に発生する膨大な排気炎を逃がす、巨大なピットを掘削する必要があったのです。

しかし、工期を急ぐ突貫工事が順調に進むはずはありません。10月に入り、大きな問題が発覚します。事前想定の測量地図と異なり、土中に分厚い粘土層が発見されたのです。頑強な粘土層は掘削に激しく抵抗し、工事の進捗を阻みます。

コロリョフは火星を目指す。過酷な巨大発射台建設。

作業員は3〜4組の交代制で作業に従事し、25台の掘削機と100台以上のトラックが忙しなく稼働し、昼夜兼行で作業が進められます。最盛期には、1日の掘削量は最大15,000㎥にも達します。11月、ユーラシアの大地は早くも過酷な冬に突入します。-35℃の極寒は粘土層を固く凍らせ、重機を破壊。作業を大きく遅滞させます。そこで、ダイナマイトを補助的に用いたものの、工事は減速を強いられます。しかし、モスクワは無理難題を押し付けるばかり。状況を理解しようとせず、現場責任者に責任を押し付けるだけでした。

翌1956年3月、工事はさらに大きな問題に直面します。掘削目標深度まであと10mに達した時、猛然と地下水が吹き出したのです。現場の技術者は、触れてはならぬ帯水層に達したと報告。そこで、工作大隊司令官セルゲイ・アレクセンコはチーフデザイナーに対し、掘削の中断を提案。掘削深度を浅くすることを提案します。

アレクセンコの見立てでは、R-7の要求を満たすには充分な深度に達しており、ピットは充分役目を果たせるはずでした。しかし、コロリョフの答えにアレクセンコは驚かされます。「ロケットの排気は、ロケットの長さの半分以下しか流れない。」とだけコロリョフは説明したのです。計画の掘削深度から逆算すると、導かれるのはR-7を遥かに上回る規模の巨大ロケット。アレクセンコは再び問います。「火星まで飛ぶつもりですか?」「もちろん!」

コロリョフの夢は、遥かに壮大でした。

突然の吹き出す地下水。1956年秋、発射台遂に完成へ。

アレクセンコは、ダイナマイトで一時的に水を排除し、地下水で満たされる前に土砂を撤去。そのままコンクリートを打設し、地下水脈を封鎖することを提案します。1956年4月、計画は実行されたものの、湧水量は並みの量ではなく、水位はいよいよ発射台基礎まで上昇するに至ります。幸い湧水量は頭打ちとなったため、湛水した地下水をポンプで排水。一気にコンクリートを打設することとなります。

ただ、問題は完全には解消されていません。鉄骨の基礎が構築された際に測量を実施すると、計画より25mm隆起している事が明らかになります。翌日には、隆起量は2倍に達します。地下水が構造全体を浮き上がらせていたのです。問題は、早急な対策を必要としていました。唯一の解決方法は、いち早く基礎コンクリートを打設してしまうこと。5月1日、基礎コンクリートの打設が完了。最終的に、発射台は設計より150mm高く完成します。

6月、工事は新たな問題に直面します。最新の地質調査で、土質の耐荷重が想定より25〜30%低いことが明らかになったのです。今さら別の場所に移動する訳にもいかず、発射台の主柱内を空洞とし、全体重量を削減することで対応するしかありませんでした。

そして、1956年秋。着工から、約1年半。発射台及び施設群が、早々と完成の時を迎えます。10月10日には、発射台と組立棟を結ぶ軌道が完成。トゥラタム発射実験場は、遂に完成の時を迎えます。

巨大な火炎ピットと、高さ45mに達する巨大発射台。

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コロリョフの指示により、トゥラタムに建設された発射施設は、ソユーズの発射台として未だに現役である。この巨大な発射施設が火星用ロケットが収容可能なサイズで設計されたとは、ソビエト政府側は誰も知らなかった。Carla Cioffi, Public domain, via Wikimedia Commons

R-7の発射を目的としたトゥラタムの発射台施設は、R-7の特殊な設計に完全に最適化されています。砂漠地帯の大地を大規模に掘削して、巨大なピットを構築。高さ45mを誇る発射台はそこから突き出るように建設されています。発射台は縦横40mに達する巨大な構造物で、発射プラットフォームの鋼製トラスの他に、推進剤ポンプ、窒素タンク、消化システムの他、可動式サービスデッキが収納される他、その下には巨大な火炎ピットが設けられています。また、発射台上面には4本の引き込み線を設置。R-7本体の他、燃料や過酸化水素等の供給用貨車を、発射台に横付けすることを可能にしています。

R-7の打ち上げに際しては、様々な後方支援施設が必要です。そこで、建設が進められたのが、サイト2と呼ばれる支援施設群です。その中核を成すのが、MIK 2-1と呼ばれる組立棟です。さらに、2Aと呼ばれる加工棟の他、発射管制棟、核弾頭貯蔵施設、水処理施設やボイラー棟が建設されます。また、敷地内には3棟のカントリースタイルの住宅が建設されます。これは高官専用住居。このうち、1棟はチーフデザイナー・コロリョフ専用住居として建設されています。

コロリョフの人生は、逆転に次ぐ逆転劇。大粛清に巻き込まれ、あらぬ罪で逮捕。取調べではタコ殴りにされた後に、強制収容所送りに。しかし、師ツポレフの嘆願によりシャラシュカに移送。そして、今や政府高官と同等の扱いを受けているのです。

 

ICBMとして最高指導者のお墨付きを得た、R-7。

コロリョフに対し、全面支援を確約するフルシチョフ。

1956年2月2日、核弾頭搭載型R-5Mの発射実験に成功。クレムリンのR-7に対する期待は、弥が上にも高まります。その僅か1週間後、ニキータ・フルシチョフ率いる最高指導部がポドリプキのOKB-1を訪れます。待ち受けるコロリョフは、一端の演出家。ドイツ製V2ロケットを手前に、R-7のモックアップを配置。時の最高指導者に、科学技術の進化を目にも鮮やかに演出して見せたのです。

御一行の中には、コロリョフの師であり、命の恩人であるアンドレイ・ツポレフの姿もありました。ツポレフは、R-7の周りをグルっと一周すると、ブースターを繋ぐ如何にもか細いタイロッドの前で足を止めます。ツポレフは眉間にシワを寄せ、近くの椅子に腰掛けると、深く思案を巡らします。そして、こう言います。「飛ばない。」と。コロリョフの胸中は如何許でしょうか。今や、コロリョフは数万人の技術者を従えて、R-7計画に邁進しているのです。設計を否定されたことよりも、師の老いの方が辛く感じたことでしょう。

時の最高指導部は、R-7こそが米国を封じ込める唯一の鉾であり、R-7が実現すればこそ第三次大戦から世界を救い得ると信じていました。フルシチョフは万感の思いを込めてコロリョフを強く激励、全面的な支援を確約します。コロリョフは、今や望み得るすべてを手にしつつありました。ICBMは完成目前で、その背後ではティホンラヴォフのチームが人工衛星開発を進めているですから。

1957年春、R-7計画はいよいよ打ち上げへ動き出す。

1957年春、トゥラタムは今や不夜城。数万人の人員を投入したR-7計画も、いよいよ大詰め。昼夜兼行、坐薪懸胆。人々は休むことも、眠ることを忘れ、今や気力と使命感だけが彼らを支えています。次なるステップは、打ち上げ試験。決戦の時を控え、トゥラタムは緊張の時を迎えつつありました。

壮大な国家プロジェクト、その頂点に君臨してきたチーフデザイナー氏。コロリョフの懐には、人知れず薬を忍ばせていました。壮絶なプレッシャーとオーバーワークが肉体に回復不能なダメージを与え、今や薬を手放せない体になっていたのです。しかし、悟られてはなりません。弱みを見せれば、魅惑の地位と権力、燦然たる名誉と自由は、あっという間に奪い去られるでしょう。ヤンゲリ、マケエフ、自分に取って代わる欲望の持つ者はすぐそこにいたのです。

大願成就まで、あと一歩。コロリョフの闘いは、ずっと孤独でした。しかし、歩みを止めることは許されません。あと一歩。もう一歩。弛まぬ前進を続ければ、歩みはいつしか月へ辿り着くはずなのです。

R-7試験機の製造は、レニングラード金属工場で行われました。ここには実物大モックアップも持ち込まれ、タンクの取り付けや燃料供給の他、トゥラタムの組立棟で実施される組み立て工程の確認も行われます。設計者会議を筆頭に、技術者たちはあらゆる事態を想定し、逐次改善を積み重ね、技術的完成度を高めていきます。

サイト2で開始された、緊迫の最終組み立て工程。

時折トゥラタムを訪れていた設計者会議のメンバーは、1957年2月には常駐を開始。機体の搬入を間近に控え、ロケット技術者が続々とトゥラタムに集結します。

技術者会議は、一般的な設計会議とは全く趣が異なるもの。明確に政治的力関係が存在し、各メンバーは自らの地位と尊厳を守るのに文字通り必死でした。責任を受け入れるのは敗北と同義。ソビエト科学技術の特殊性を象徴していると言っていいでしょう。

1957年3月3日、R-7最初の機体となる「5号機」が、特別列車で遥々トゥラタムへ到着します。列車はサイト2へ続く引き込み線へ押し込まれ、貨車に載せられたまま組立棟内へ取り込まれます。5号機の組立工程が、いよいよ始まるのです。ただ、R-7は構造が極めて脆弱なため、作業は慎重にも慎重を期す必要があります。ユニットを1基ずつ天井クレーンで吊り上げ、組立棟内に設置した支持台上にゆっくり慎重に降ろしていきます。

3月8日、トゥラタムに設計者たちがやってくると、サイト2はちょっとした騒ぎになります。試験で抽出した問題点に対する修正リストを、彼らが山ほど抱えてきたからです。特に深刻だったのは、テールエンドの熱対策でした。ザゴルスクで実施された燃焼試験では、アルミ合金クラッド製尾翼に加え、バーニアモータの制御ケーブルやセンサーまで焼損していました。そこで、尾翼は薄い鉄板で保護すると共に、内部の脆弱な部分はすべてアスベストで覆うこととします。

R-7を構成する、コアステージと4基のブースター。

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コロリョフが実現した巨大ロケットR-7ファミリーは、宇宙ロケット「ソユーズ」として未だに現役である。写真は保存展示される、ボストークICBM。意図的に液体酸素を採用するが故、ICBMとしては短命だった。Sergei Arssenev, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

R-7は大きく分けて、6つのコンポーネントで構成されます。コアステージとなるブロックAと、これを取り囲むように連結されるB、V、G、Dの4基のストラップオンブースター、及び弾頭で構成されます。弾頭はICBM用の核弾頭のほか、人工衛星や有人カプセルなど、用途に合わせて様々なペイロードが搭載されることになります。

R-7のコアステージが、ブロックAです。ロケットは先が細く、後方が太いのが一般的。ところが、ブロックAはその逆。先端のみ太い不思議な形状をしています。これはブースター頂部をフィットさせるためで、R-7は4基のブースターを装備した状態で初めて円錐形を構成します。ブロックAは酸化剤の液体酸素:63.8t、推進剤のケロシン:26.3t、ターボポンプ駆動用の過酸化水素:2.6tを搭載。最後方にはバーニアモータ4基を装備するRD-107が搭載されます。

一方、ブースターは人参とも呼ばれる円錐形状が特徴。全長:19.2m、直径:2.68m、離陸重量:44.5t、空虚重量:3.8t。各種搭載量は1基あたり、液体酸素:27.9t、ケロシン:11.2t、過酸化水素:1.2t。上段に液体酸素タンク、中央部に推進剤タンク、最後方にはバーニアモータ2基を装備するRD-108エンジンが搭載されます。

なお、ブロックAとブースターの下段接続部には爆薬が内蔵されており、ブースター燃焼終了時に作動、分離シーケンスを開始します。

ボールジョイントとタイロッドでブースターと接続。

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現役のソユーズは、R-7の基本構造をそのまま受け継いでいる。サステナ―ユニットのBlock.Aの周りに接続される4基のブースターは、頂部のボールジョイントと下部のタイロッドで連結される。via Wikimedia Commons

R-7のアッセンブリ作業はすべて、横倒し状態のまま進められます。ブロックAは、天井クレーンで吊り上げられ、上段パワーベルトと下段のタイロッド連結部の2箇所で、支持台上に置かれます。次に、ブースターを1基ずつ吊り上げ、連結していきます。

ブースター頂部のボールジョイントを、ブロックAのパワーベルトに設置されたシューに挿入。直ちに脱落防止ピンを挿入し、赤く塗装された仮締結用クランプを取り付けます。これは、ボールジョイントの脱落を防ぐ予防的なのもので、発射台据え付け後に取り外されます。続いて、ブロックAとブースター下部接続点を締結します。ブロックAに予め取り付けた2本のタイロッドで、ブースター側接続点を連結。上下接続点で連結されたブロックAとブースターは、互いに強く固定されます。なお、タイロッドは隣接するブースターのタイロッドとクロスするため、片側をターンバックル形状として間隙を貫通する設計としています。ブースターは4基あるため、互いに接触しないよう、1基ずつ慎重にアッセンブリ作業が進められます。

最後に搭載されるのは、ペイロード。5号機は初号試験機のため、データ収集を目的に各種測定機器が規定重量を越えて満載されていました。アッセンブリ作業を完了した5号機は、各種機器の作動確認を実施。全準備作業が完了すると、エレクターを備えた専用貨車に搭載され、出庫を待つこととなります。

 

フルシチョフによる権力掌握と、新たな時代の始まり。

ゆっくりと発射台へと動き出す、R-7・5号機。

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格納庫から、貨車に載せられた状態で引き出されるソユーズ。RD-108に8基、4基のRD-107に計24基、合計32基ものノズルが並ぶ。Aubrey Gemignani, Public domain, via Wikimedia Commons

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ソユーズは貨車に載せられ、発射台を目指す。ソユーズの下に見えるグレーのフレームが、エレクターである。Bill Ingalls, Public domain, via Wikimedia Commons

1957年5月6日午前7時、巨大な発射台を朝日が真っ赤に染め上げます。いざ時は来たれり。サイト2・MIK 2-1組立棟では最後の作業を終え、人々が俄に緊張の時を迎えていました。そして、巨大な組立棟の扉が、ギリギリと車輪を軋ませつつ、ゆっくりと開いていきます。組立棟内に眩い朝日と共に一気に砂塵が舞い込みむと、鮮やかな朝日が32個のノズルを真っ赤に染め上げ、真っ白な巨体をギラリと光らせます。

汽笛一声。機関車のホイッスルが、静寂を突き破って広大な大地に響きます。貨車はごく僅かに動き出し、ゆっくりゆっくりとR-7をトゥラタムの大地に引き出していきます。朝日に輝くその姿は、まるで白鯨。巨体を貨車に横たえ、静かに発射台を目指します。

誰彼ともなく、発射台へとゆっくり歩き始めます。人々は緊張が限界を超えると、口を開くことを忘れるのでしょう。発射台へと続く人の列は、まるで葬列。うつむき加減の男たちがゆっくりと列車と共に歩みを進めていきます。

きっと、科学者ならば誰しもが分かっていたことでしょう。打ち上げが最初から成功する確立は万に一つも無いと。しかし、失敗は成功の基。いち早く原因を究明し、いち早く対処する。ここから長い改良改善のプロセスが始まるのです。しかし、もし願いが叶うのなら、自分以外のミスであって欲しい。一人ひとりの長いと祈りを乗せて、列車は発射台へと到着します。

最大の難関。発射台への据え付け作業。

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ソユーズは貨車に載ったまま、エレクターにより慎重に垂直に引き起こされていく。Aubrey Gemignani, Public domain, via Wikimedia Commons

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トゥラタムの強風から守るため、ソユーズの尾部は開口部に深く落とし込まれる。Bill Ingalls, Public domain, via Wikimedia Commons

R-7の最大の難関は、実はここから始まります。R-7は極端な軽量構造のため、自重を負担することはできず、砂漠に吹き荒れる強力な横風を浴びれば損壊は免れません。そのため、トゥラタムの発射台はR-7を保護する特殊な設計を採用しています。

発射台据え付け作業の概要は、次の通り。横倒しに運ばれてきたR-7を垂直に立ち上げます。しかし、R-7は自立できないため、この間エレクターで吊下し続けつつ、ロケット重量を発射台へ受け替えねなりません。ただ、このままでは発射台へ据え付けることはできません。横風対策のため、尾部を開口部に落とし込んで据え付けるからです。但し、その開口部はギリギリに設計されており、僅かでも接触すれば、検査のため分解修理が必要になります。決して失敗が許されない、難しい作業が連続するのです。

R-7積載した特別列車がサイト2を出発。発射台へ到着すると、機関車を最後尾に付け替え、R-7を尾部から発射台へ押し込んでいきす。開口部にせり出さんばかりの所定位置に専用貨車を据え付けると、機関車を開放。専用貨車のエレクターを徐々に引き上げていき、R-7の巨体をゆっくり垂直に引き起こしていきます。エレクターの支点が前方に設けられているため、R-7の尾部は深さ6.3mの開口部に自然と落とし込まれていきます。この時点で、発射台に設置されたブームはすべて展開されており、R-7の荷重は依然としてエレクターで受けています。

4本のチューリップとサービスデッキに囲まれるR-7。

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ソユーズは4点でクランプされて荷重を移され、エレクターが撤去される。強風から守るため、左右からサービスデッキが立ち上がる。ru:Участник:Arie, Public domain, via Wikimedia Commons

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サービスデッキにより、打ち上げ準備中のソユーズ。液体酸素が空気中の水分を凍らせ、白い蒸気を巻き上げている。Bill Ingalls, Public domain, via Wikimedia Commons

R-7が発射台上の所定位置で固定されると、チューリップと呼ばれる4本のブームが立ち上がります。ブーム先端は90°分のグリップとなっており、4本が組み合わさると円形状のグリップを構成します。この円形グリップがブロックAの逆テーパー部を包み込むと、R-7自身の自重によってセルフロックされ、4本のブームがエレクターに代わって荷重を負担するようになります。この段階で不要となった仮締結クランプを撤去。専用貨車はエレクターを畳み、機関車で牽引され車庫へと戻っていきます。

ただ、この状態は依然不完全。ロケット上部がまともに横風を受けるからです。これを保護するのが、2本の巨大なサービスデッキ。左右から立ち上がたデッキがR-7を完全に包み込み、最大40m/sに達する強風からR-7を完全に保護します。

続いて、作業工程は発射最終準備に移行。各種ケーブル・配管類が連結され、燃料充填が開始されます。常温保存のケロシンは言うなれば軽油であり、充填に特別な配慮は不要です。これに対し、非常に手間が掛かるのが、コロリョフこだわりの液体酸素。R-7は175.4tもの膨大な液体酸素を必要とします。加えて、-183℃と極低温の液体酸素は常温雰囲気中では猛烈な勢いで気化するため、大量の備蓄が必要です。輸送中も盛大に気化するうえ、充填後も気化によって搭載量も目減りしていきます。そのため、充填作業は打ち上げ直前まで継続する必要があります。

地下8mに建設された、巨大な発射管制棟。

発射予定時刻、1957年5月15日午後9時。コロリョフやグルシュコなど設計局幹部は、これに先んじて発射管制棟に陣取り、緊張の瞬間を待ちわびていました。

弾道ミサイル発射実験では、発射後に制御を失って落下・爆発する可能性があり、その場合にも機能を維持するため、発射管制棟は発射台から200m、深さ8mに地下シェルターとして建設されました。カプースチン・ヤールの管制棟より圧倒的に規模が大きく、1階層構造ながら5部屋が準備されました。

最も広い部屋は、発射担当技術者多数が陣取る飛行管制室で、中央制御システム、テレメトリ表示計器の他、最新計器が所狭しと並びます。潜望鏡が2基設置されていて、R-7の直接監視が可能でした。2番目は来賓用で、国家委員会の科学者や来賓、そしてチーフデザイナーのための部屋で、ここにも潜望鏡が2基設置されていました。他には、各種制御管制システムの他、通信士や警備員らの控室が用意されていました。結局のところ、発射管制棟から発射を直接見守れるのは、たった4名に過ぎません。もし、発射を直接見届けるのなら、退避制限解除の後、体力に物を言わせて階段を駆け上がる他ありません。

管制システムを設計したビジュルギンが、一つだけ気に喰わなかったのが、古典的なドイツ式発射キー。これを先進的かつ特別なスイッチに置き換えようとしますが、軍が強硬に反対します。彼らは、システムより伝統を重んじるのが常なのです。

実験目的は、システム作動確認。目標射程は6,314km。

全ての準備は完璧に進められてきました。1950年の研究着手以来、苦節6年半。GIRD立ち上げから27年、V2鹵獲からたった12年。ソビエトのロケット開発は恐ろしいスピードで進化を遂げ、今や総重量280tの大型ロケットを実現するに至りました。これは彼らも知らぬことですが、ソビエトはこの時フォン・ブラウン擁する米国を完全に追い越していました。それは、コロリョフが居ればこと成し遂げられたもの。奇跡と言うべき偉業でした。

初の発射実験を迎える5号機。その目的は全システムの作動確認。打ち上げプロセスの習得、ブースターステージの飛行特性及び制御、分離シーケンス、無線誘導システムの有効性評価、コアステージの飛行特性及び制御、弾頭の分離シーケンス、地上降下段階の挙動評価など、多岐に渡ります。弾頭着弾目標は、6314km先のカムチャツカ州クリウチ村の実験場。射程が短く設定された理由は、弾頭にこれ見よがしに計測機器を詰め込んだためでした。ブースターステージは104秒、コアステージは285秒に設定。打ち上げ重量は、283tに達しました。

ここに集う全ての者の運命を左右する、世紀の実験が遂に始まろうとしていました。凄まじい緊張とプレッシャーが、疲労を重ねた身体を押し潰さんばかりに伸し掛かっていました。バーミンは、チーフデザイナーに任務完了を報告。幾重に去来する万感の思いと、医者の忠告と薬を懐中に隠し、チーフデザイナーは遂に最終命令を下すのです。

 

R-7、発射試験開始!追い詰められるコロリョフ。

1957年5月15日午後9時、R-7・5号機エンジン点火。

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離昇推力に達し、発射台を離れるソユーズ。離昇時に全エンジンに点火するのは、信頼性が低かった50年代の名残である。Carla Cioffi, Public domain, via Wikimedia Commons

「さぁ、テストだ!」コロリョフは檄を飛ばし、技術者たちに最後の鞭を入れます。サービスデッキとのすべての接続を解除し、デッキを開放。サーチライトに照らされた純白のR-7が、発射台上に顕になります。すべての人員の安全区域への退避を完了。電源を機上電源に切り替え、制御システム及び観測機器が起動。火炎ピットにウォーターカーテンを展開。最終確認を完了すると、発射キーを投入。自動発射シーケンスが開始され、R-7はいよいよ発射体制に入ります。

この段階で既に、RD-107/RD-107はウォーミングアップを開始してます。窒素のパージを終え、酸素系統の予冷を完了。極低温の液体酸素による各部凍結を防止しているのです。

起動コマンドの開始と同時に、地上側に設置した点火システムを起動。点火用予備燃料の投入を開始すると、ブースター用の4基のRD-107及びコアステージ用RD-108に同時に火が入ります。燃焼室圧力制御により燃焼の安定を図ると、10.5秒後にRD-107の過酸化水素バルブを中間段1まで開放、ターボポンプを起動して推力レベルを中間段1まで上昇させます。16秒後、RD-108をメインステージ推力に引き上げ、同時にRD-107の推力を中間段2へ引き上げます。22秒後、RD-107をメインステージ推力に引き上げます。いよいよ、海面高度での最大推力407tに達し、R-7は重力に打ち克って上昇を開始します。

283tの巨体が地面を震わせ、大地を焼いて、空を駆け登る。

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第一宇宙速度を目指し、加速するソユーズ。R-7ファミリーの末裔であるソユーズは、現在最も古いロケットシステムであると同時に、信頼性の高いロケットシステムでもある。Bill Ingalls, Public domain, via Wikimedia Commons

グルシュコが創り上げたRD-107/RD-108が遂に目を覚ますと、凄まじい轟音が地面を震わせ、眩い閃光が大地を真っ赤に染め上げていきます。神々しさえ感じさせるその光景は、到底人間の所業とは思えぬもの。人々に畏怖の念を呼び起こすのです。これならば、神が創り上げし大地を旅立てる。遥か神の及ばぬ宇宙に達することができる。圧倒的な光景が、遂に現実の物となったのです。コロリョフは、次なる計画にはっきりと確信を得たことでしょう。

強大な推力によって283tの巨体が宙に浮き上がり、チューリップに掛かっていたR-7の荷重が抜けます。この瞬間、カウンターウェイトによってバランスを失った4本のブームは、後方に回転して退避。まるでチューリップが花開くように、R-7は全ての束縛から開放されます。漆黒に染まったトゥラタムの大空に轟々たる爆炎をオレンジに輝かせ、R-7が上昇を開始。発射台から全体を顕にすると、次第に速度を増して大空高く駆け上がっていきます。発射シーケンスは無事成功。すべては順調に作動し、一路カムチャツカへ目指してR-7は、高度をさらに増していきます。

退避制限が解除されると、見守っていた技術者たちは我先に屋外に出て、憚ること無く次々に歓声を上げるのでした。しかし、好事魔多し。長男5号機の運命もここまででした。

5号機火災発生、発射107秒後エンジン緊急停止。

R-7には、2種類の緊急エンジン停止システムが搭載されていました。1つは自律システム。目標姿勢に対して傾斜角が7°を超えるとジャイロの緊急接点が閉じて、エンジン緊急停止システムが起動します。2つ目は、無線誘導システム。地上から無線で緊急停止コマンドを送信することで、エンジンの緊急停止が可能でした。但し、誤ってエンジンが停止しないよう、先に秘密パスワード「アイヴァンホー」を送信する必要がありました。

実は、発射準備段階で既に異常は生じていました。燃料の高圧パイプ系統に緩みがあったのです。発射98秒後、漏れた燃料に引火し、Dブロック下部で火災が発生。推力を失ったDブロックは、本体から自発的に分離されます。ただ、残る3基のブースターは依然燃焼中であり、5号機は加速を継続していました。ただ、推力の対象性が失われば、目標姿勢からの逸脱は免れません。

103秒後、傾斜角が7°を超過。エンジン緊急停止システムが起動し、全エンジンの燃焼が強制的に停止されます。推力を失った5号機は、落下を開始。敢え無く300km先の大地に叩き付けられて、灰燼に帰します。

記念すべき世界初のICBM打ち上げ実験は、失敗に終わったのです。テレメトリーシステムのデータチェックで発見されたのは、推進剤系統にリーク。ターボポンプの高圧で大規模な漏れが発生したのです。

5号機失敗の原因は輸送時の振動による高圧パイプの緩み。

意気消沈する科学者たちの視線は、皆同じ人物を見ていました。エンジン開発を担うグルシュコです。本人が案じた通り、失敗の全責任が自分のもとに降り掛かってきたのです。もちろん、エンジン開発が最も難易度が高いことは、誰でも周知の事実。しかし、言い訳はできません。問題を解決しないことには、窮地を打開することはできないのです。

原因は早々に明らかになります。輸送時の振動によって高圧パイプに緩みが生じていたのです。6号機で漏洩試験を実施してみると、Dブロックだけが火災になったのか不思議なほど、多数の漏洩が確認されます。これを受けて、発射前の最終確認での漏洩試験を圧力を高めることと、クランプの締め付け強化と確認の徹底が決定されます。

6月10日、早くも6号機の発射実験が実施されます。しかし、結果的に6号機の打ち上げも失敗でした。発射は2度試みられたものの、エンジンの燃焼が早々に異常終了。遂に飛び立つことが出来なかったのです。

1度目の失敗の原因は、Bブロックのメイン酸素バルブの動作不良。緊急会議にて、バルブの凍結にあると判断、予熱することで応急対策とし、その日のうちに2度目の発射が試みられます。ところが、再びエンジンは緊急停止。発射実験の中止が宣告されます。

これ以上は危険なため、6号機は哀れ発射台から撤去。現役を退いて、各種検証に用いられることとなります。

繰り返される失敗。次第に追い詰められていくコロリョフ。

6号機失敗の原因は、単純なミスでした。窒素パージバルブの取付方向が逆に取り付けられていたのです。そのため、発射準備中に行われる酸素系統のパージが終了せず、窒素が燃焼室に供給され続けたため、相対的に酸素量が不足。燃料混合比が低いため、推力が所定時間内に中間段1まで上昇せず、緊急エンジン停止システムが自動起動したのです。

直ちに7号機を調査すると、窒素パージバルブは見事に同じミスが発見されます。原因は、逆方向の取付可能であること。設計者は取り付けミスを想定して、バルブに流れ方向が矢印で明示していましたが、作業者はそもそも流れ方向を理解していなかったのです。

1ヶ月後の7月12日、7号機の発射試験が実施されます。発射準備は順調に進んだものの、技術者の報告により打ち上げ30分ディレイが決断されます。機上搭載バッテリのマイナス側が、機体に接触している可能性がある判断とされたのです。コロリョフは速やかに協議を行い、センサーの故障と判断。打ち上げ再開を決断します。

ところが、実験は再び惨憺たる結果に終わります。上昇中に回転角積分器に誤信号が入り、角度偏差が7°を越えたのです。緊急停止命令が発動し、33秒後7号機は崩壊。7kmの地点に落下、爆発炎上してしまいます。

コロリョフは、間違いなく発射を中止すべきでした。制御システムに異常を発見できれば、惨憺たる結果を招くことは無かったのです。

砲兵最高司令官の発射試験中断命令に抗うコロリョフ。

制御システムの異常を見たグルシュコは、意趣返しとばかりに技術者全員を前に口汚く罵り始めます。コロリョフは自制心を以て、グルシュコを諌めることしかできませんでした。この時、悩み深いコロリョフは妻に手紙を送っています。「もし、人が自分を最も知的な存在と考えるなら、その信念は事実によってのみ反論されうる。」と。

クレムリンの強い期待とは裏腹に、R-7の実験は全3回失敗。成功率0%。これは非常に危険な徴候でした。誰かがフルシチョフに計画中止を進言する可能性もあります。もし計画中止が決断されれば、コロリョフは失脚を免れないことでしょう。4回目の打ち上げは必ず成功させねばなりません。

しかし、チーフデザイナーが取り乱せば、現場は混乱し、モチベーションは地に落ちるでしょう。だからこそ、コロリョフは鼓舞するのです。「新しい機械なんだから当たり前だ、チューンナップが必要なんだ!」と。

しかし、R-7はたった100秒さえ飛行を継続できず、分離シーケンスは全く評価することが出来ていません。目標は何一つ達成できていないのです。事態の収集を図るべく砲兵最高司令官ネデリン元帥は、直ちに緊急会議を招集します。その席上で、コロリョフに対し厳しい判断が下されます。ネデリンは、発射試験をすべて中断し、トゥラタムに搬入された機体をザゴルスクに送り返して、燃焼試験を再度行うことを提案したのです。

二度と失敗は許されない。4度目の正直や如何に。

ネデリンの提案は実に理に適ったものです。R-7の発射実験には、毎度5億ルーブルもの莫大な費用を要するのです。無駄な失敗を繰り返せば、その責任は今度は自分に降りかかることでしょう。窮地のネデリンの提案に対し、コロリョフとビジュルギンは「機体の輸送は時間と予算の浪費である」と主張。あと1回、発射試験を行うことを主張します。これを聞いた、グルシュコは驚く発言を行います。何と、ネデリン元帥の意見を支持したのです。

グルシュコにとって、発射実験の失敗は忸怩たる思いがありました。なぜなら、OKB-456では何と40基ものエンジンが試験中に破壊されていたのですから。このままでは、再び失敗を繰り返し、自分が批判に晒される。大粛清の恐怖を味わったグルシュコにとって、失敗は死を意味していたのかも知れません。ただ、これを機会にコロリョフとグルシュコの溝は、再び深くなっていくのです。そして、その対立こそが、フォン・ブラウンに逆転の隙を与えることになるのです。

設計者会議での激しい対立は、中止命令を遅らせることになります。中止命令が出ないのなら、作業を止める必要はありません。科学者らは、その間も粛々と4号機の発射準備を進めていくのです。

そして、1957年8月21日。コロリョフ最大の勝負の瞬間がやってきます。果たして、R-7は無事成功を収められるのか。R-7に関わるすべての人々が、固唾を飲んで打ち上げを見守っていました。

 

参考文献

Russian Space Web.com News and history of astronautics in the former USSR
http://www.russianspaceweb.com/index.html

ロシア宇宙開発史 気球からヴォストークまで
富田信之著 東京大学出版会出版

KOSMONAUTIX.CZ
https://kosmonautix.cz/

The Lib.Ru
https://thelib.ru/books/pervushin_anton/108_minut_izmenivshie_mir-read-6.html

Liquid Propellant Rocket Engines
http://lpre.de/energomash/ED/index.htm

Epizods Space AirBase
http://epizodsspace.airbase.ru/bibl/pervushin/vel6/vel6.html

GALILEO GNSS
https://galileognss.eu/next-galileo-launch-preparation-soyuz-flight-vs11/

Space Safety Magazine
https://www.spacesafetymagazine.com/news/a-quality-issue-caused-the-soyuz-mc-10-failure/

文責:スバルショップ三河安城和泉店 営業:余語

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