世界初の超音速飛行、チャック・イェーガーの挑戦。 [2024年08月09日更新]

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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

お問い合わせ:0566-92-6115

担当:余語

 

時代は、幸運のX-1から、悲運のX-2へ。

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タンクに亀裂が発生して、アッサリ退役したX-1B。現在は、国立空軍博物館で余生を送っている。from US Air Force

 

X-1Bを駆ったリドリーと、あのアームストロング。

X-1B(48-1385)は、1954年9月24日にジャック・リドリーが滑空試験を実施。以降、空軍テストパイロットの超音速領域での完熟訓練を目的に、12月2日までに10回のミッションを実施。この飛行でエベレストがマッハ2.3を記録した後、機体はNACAに引き渡され、27回のテストフライトを実施。空力加熱に関する研究と、高高度での姿勢制御用の過酸化水素リアクションコントロールの試験を実施しています。最終飛行は1958年1月23日。飛行後の検査で液体酸素タンクに亀裂が発見され、退役が決定。27日には、空軍博物館に展示のため引き渡されて、生涯を終えています。なお、24〜26回目の飛行を行ったのは、アポロ11号で月面に降り立つ、あのニール・アームストロングでした。

X-1シリーズ最後の機体となったのは、X-1の2号機(46-063)を改修して誕生したX-1Eです。翼厚比4%という超薄翼(NACA64A-004)に換装、4年後の1955年11月末に漸く完成しています。コックピットは第2世代同様に改修され、射出座席を初めて装備。エンジンは推力は同一ながら、安全面を徹底的に見直したLR11-8-RM-5に換装しています。1955年12月12日には初滑空飛行。1957年10月8日には、NACAのジョセフ・ウォーカーがマッハ2.24の最大速度を記録しています。

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X-1Eは、X-1・2号機をベースに誕生した第2世代X-1である。X-1Eでは、ターボポンプ搭載による窒素タンクの廃止の他、さらに薄く再設計された主翼、風貌をキャノピーに変更、測定装置の追加が成されていた。X-1Eは1955年12月15日に初飛行。1958年11月の26回目の飛行で、タンクに致命的な亀裂が発見され、退役となった。from NASA

 

後退翼のリスクを避けて、敢えて直線翼としたX-1。

X-1Eは12月、飛行安定性強化を目的に胴体尾部にベントラルフィンを追加、さらにテイルスキッドを大型化。26回目の飛行では、新燃料U-Data(非対称ジメチル・ヒドラジン60%+ジエチレン・トリアミン40%)と、新たに圧力を20%向上させた燃焼室をテスト。ところが、燃料タンクのX線検査で亀裂を発見。あっさり退役が決定しています。

X-1計画は、1944年に始まる息の長いプロジェクトでした。ロケットエンジンを搭載し、音速を突破。さらに、マッハ2を超えて、人類を新たな領域へ到達させました。ただ、2度の爆発事故など、依然として問題は未解決のまま残されていました。また、これ以上の速度領域に達するには、後退翼を導入した新たな機体の導入が不可欠でした。

1935年、ローマで開催された「高速飛行に関する第5回国際会議」に於いて、ドイツのアドルフ・ブーゼマンは後退翼に関するレポートを提出しています。ただ、遷音速でさえ程遠い時代のこと。このレポートが研究者たちの関心を集めることはありませんでした。また、NACAのロバート・ジョーンズはコッチャーに協力して、後退翼理論の研究を行っていますが、XS-1ではリスクが高いと判断され、スパンの短い直線翼を採用するに至っています。

後退翼の可能性を見出していた、ナチス・ドイツ。

後退翼のメリットは、臨界マッハ数が高められる点にあります。翼型に平行な流速は、後退角の余弦を乗じた速度に理論上減じることが可能となるのです。後退翼であれば、衝撃波の発生を遅らせることが可能になるため、不安定な遷音速領域でも高い空力学的安定が得られるはずでした。その一方、翼端の翼玄長が短くなるため、翼端失速を起こしやすく、低速時の安定性に難があるなど、解決すべき課題も残されていました。

米国に新たな実験機開発の動機付けとなったのが、ラスティ作戦で獲得したナチス・ドイツの膨大な研究資料です。大戦中、屈指の空軍力を誇ったナチス・ドイツは、世界最先端の航空技術を有していました。その中には、世界初の実用ジェット機でイェーガーが初撃墜を記録したMe262の他、世界初の全翼ジェット機Ho229、実用ロケットエンジン機Me163、米ソに鹵獲されて後の宇宙ロケットの基礎となるV2ロケットなど、多種多様、珍妙奇天烈な様々な航空機が存在しました。

ヤルタ会談以後、対決姿勢を鮮明にする米ソは、その技術及び技術者を自らのものとすべく、壮大な一大鹵獲作戦を展開しました。その中には、後のステルス技術に資することになるHo229に塗布された特殊塗料のように、画期的なヒントが含まれていたのです。

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メッサーシュミットMe262は、ドイツ軍が第二次大戦中に実戦配備した、世界初のジェット戦闘機である。主翼は一見後退翼に見えるものの、その意図は異なり、単に主翼下にエンジンを吊下した影響に対応したためのものであった。写真は、米軍が鹵獲した機体をテスト中のものである。from NASA

 

徹底的に検証された、遷音速域での後退翼の特性。

後退翼も、その成果の一つでした。ベル社は、XS-1に後退翼を装備するモデル37Dを検討しますが、膨大な改設計が必要であると判明。空軍は、新たにMX-743計画として、1945年12月14日にXS-2(モデル52)2機の製作を内定。1947年7月3日に、正式に発注契約が交わしています。イェーガーが直線翼のXS-1で音速突破を果たす10月14日時点で、後退翼の本格超音速実験機X-2は、既に計画として存在していたのです。

一方の海軍は1946年4月、試験機L-39の飛行試験を開始しています。このL-39は、ベルP-63キングコブラ2機を後退角35°の主翼に換装し、低速時の安定性確保のため60°の前縁スロットを装備した機体で、後退角を評価するための試作機でした。

L-39の2号機はベル社に貸与され、7月からジャック・ウーラムズによってX-2用主翼の試験を実施しています。バルサ材でX-2の主翼形状を再現し、遷音速領域の安定性の評価を行ったのです。遷音速では、機体周囲の流れに超音速領域と亜音速領域が混在。その性質が目まぐるしく変化するため、機体の微小な挙動であっても流れに複雑な影響を与えます。高度125,000ftでマッハ3.5を狙うX-2にとって、後退翼の遷音速領域での特性評価は決して欠かすことのできないものだったのです。

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メッサーシュミットMe262は、ドイツ軍が第二次大戦中に実戦配備した、世界初のジェット戦闘機である。主翼は一見後退翼に見えるものの、その意図は異なり、単に主翼下にエンジンを吊下した影響に対応したためのものであった。写真は、米軍が鹵獲した機体をテスト中のものである。from NASA

 

空力加熱と最大12Gを考慮したX-2の機体構造。

地上に暮らす私たち一般市民が経験しないもの。その一つが、空力加熱です。掴みどころのない空気であっても、当然粘性を有しています。そのため、翼表面には境界層が生成され、その流れに大きな影響を与えています。

物体の速度が音速を超えると、上流側には波動が伝播せずエネルギーが圧縮されるため、先端に衝撃波面が形成されます。この衝撃波面の前後では、マッハ数の2乗に比例して温度、圧力が急激に上昇します。ここに生じる熱エネルギーは、境界層が失った運動エネルギーそのものであるため、速度の2乗に比例します。

その上昇値は、マッハ3.5ではマッハ1.5の10倍にも達しますから、X-2では非常に重要な課題でした。ただ、依然として未知の領域には違いなく、機体構造には余裕を加味して耐熱合金を導入しています。胴体の大部分はK-モネル(ニッケル・銅合金)とし、主翼及び尾翼には18-8ステンレス鋼を採用。+12Gを最大荷重として設計が行われています。

主翼後退角は翼弦25%ラインで40°で、アスペクト比4.0、テーパー比0.5、胴体取付角3°、上反角3°。翼型は、バイ・コンベックスと呼ばれるNACA考案の凸円弧形状を採用しています。また、内翼前縁には境界層板を設置しています。

X-2に採用された、カプセル式脱出装置。

エルロンは、前縁の1/2の厚みを持つナマクラ後縁とし、外翼の前縁フラップと後縁フラップはマニュアル操作で電動で駆動する、現在のフライ・バイ・ワイヤに繋がる画期的な方式を採用。ところが、意欲的な電気駆動式エルロンが、凄まじい騒音を発することが判明したため、すぐに改造されて従来の機械式に改められたもの、初飛行後にさらに改造されて通常の油圧式とされています。

先行落成した2号機はエレベータ付の半遊動式であったものの、すぐに全遊動式に改められています。後退角は、水平尾翼は後退角40°、垂直尾翼は32.5°に設定されました。

非人道的ながら、XS-1で省略されたパイロットの緊急脱出方法。X-1では、例えハッチから機外に脱出しても、鋭い主翼前縁に衝突するのは確実だったのです。そこで、X-2で採用されたのが、カプセル型の脱出方式です。コックピットの後部隔壁は胴体と爆発ボルト4本で接続されており、脱出時はこれを破断して機体と切り離し、高度15,000ftまでパラシュートで降下。パイロットは風防を開放し、機外に出て脱出するものでした。

また、機内には36chの振動記録計を備え、機外の各種センサーからのデータは30chのテレメータで地上に送信されました。

XLR25の開発遅れにより、丸2年も放置されたX-2。

胴体は巨大なインテグラルタンクとなっており、胴体中央部に3,256Lのアルコールタンク、その前後に合計2,861Lの液体酸素タンクを配置。燃料は、ターボポンプでエンジンに供給されます。X-1同様に空中発進とするため、前脚は引き込み式としたものの、ステアリングは省略されています。主脚は、胴体内に収納スペースを確保しなかったため、コンパクトな引き込み式ソリを採用しています。

エンジンは、最大推力22.2kNの上部燃焼室と同44.5kNの下部燃焼室で構成されるカーチス・ライト製XLR25-CW-1/-3を搭載。このエンジンは、合計推力66.7kNから11.1kNまで出力調整できる画期的機構を備えていました。

X-2の2号機(46-675)は、1950年11月11日に早くも先行落成。ところが、幾つかの改修が必要となったうえに、肝心のXLR25の完成が遅れていたため、1年半近く放置されることになります。エンジンの完成を待たず、初の滑空テストが1952年6月27日に実施されています。新たな母機EB-50(46-011)に搭載に導かれて、ジーグラーの手により初進空。ところが、着陸の際に前脚を破損。対策として、主ソリの幅を拡大し接地面積を3倍に増積した他、主翼に補助ソリを追加しています。

 

悲劇的な最期を遂げた2機のX-2。時代は、宇宙へ。

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母機から投下され、発進体制に入るX-2。機体後方からは、ベントした酸素が白煙となって尾を引いている。X-2は、後退翼を採用したロケットエンジン搭載の高速実験機であり、その知見は後の極超音速実験機・X-15に活かされることになる。from NASA

 

貴重な2名の生命と共に、空に消えたX-1の2号機。

2号機は10月10日にエベレスト少佐が滑空テストを実施した後に、ニューヨーク工場へ戻され、エンジンの完成を待つこととなります。1953年には1号機が落成したものの、こちらもエンジンは未搭載。3月になって、漸くXLR25が1基が引き渡されます。

5月12日、エンジン未搭載の2号機は、母機搭載のままでの液体酸素充填試験に臨みます。そして、オンタリオ湖上空30,000ftを322km/hで飛行中。液体酸素投棄試験を開始。一旦は成功し、再度試験手順を繰り替えしていた処、2号機が突如爆発!EB-50は、爆発の衝撃で100ftほど跳ね上がったものの、何とか緊急着陸には成功。しかし、2号機はバラバラに崩壊して失われ、爆弾倉にいたジーグラーは機外に放り出され、ベル社査察官1名は脱出を図ったものの行方不明となります。大規模な捜索が実施されたものの、2名は発見できず、生存の見込みも立たれたため、遂には捜索は打ち切られます。

X-1の3号機、X-2の2号機、そしてX-1A。3機は、液体酸素のベント中に爆発していました。その原因は、1955年8月8日のX-1Aの爆発事故での原因究明調査で遂に明らかになります。液体酸素タンクのガスケットに用いられていたウルマー革を、液体酸素に接触させて衝撃を与えると、ある条件下に限って爆発することが判明したのです。

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前脚とドリーを展開し、着陸態勢に入るX-2・1号機。高速実験機は着陸速度が高いため、チェイス機の支援は絶対不可欠である。機体表面が薄汚れて見えるのは、空力加熱によって塗料が剥げたため。from NASA

 

マッハ3.196達成直後、制御を失うX-2の1号機。

突然の事故で2号機を失った空軍は、急ぎ1号機の準備を整え、試験プログラムの早期再開を図ります。これに合わせ、新たな母機B-50D(48-096)が改造されています。また、ベル社は新たに主任テストパイロットにジョセフ・キャノンを指名しています。

歴戦のイェーガーですが、X-2を飛ばす機会はありませんでした。X-2最多の13回のテストフライトを実施したのはエベレスト大佐で、自身最後となる1956年6月23日のX-2通算16回目の飛行でマッハ2.87を記録しています。この他にテストを担ったのが、アイヴァン・キンチェロー大尉とミルバーン・アブト大尉。キンチェローは9月7日、通算19回目の飛行で最高高度125,907ftを記録しています。

NACAへの引き渡し期限が迫っていた1号機は、9月27日に通算20回目となる空軍最後のミッションを実施します。テストパイロットは、アブト。X-2では初のミッションでした。母機B-50Dから高度32,000ftで切り離されたアブトは、全推力で高度72,000ftに到達。ここからフルスロットルでダイブを行い、60,000ftでマッハ3.196に到達します。

ここで、アブトは全エンジンをカットオフ。しかし、機体は突如左ロールに陥ると、そのままコントロールを失ってしまったのです。

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NACAへの引渡し期限が迫っていたX-2・1号機は、1956年9月27日に通算20回目となる空軍最後のミッションに臨んだ。パイロットは、空軍のミルバーン・アブト大尉。高度72,000ftでマッハ3.196に到達したアブトは、エンジンをカットオフ。すると、機体が勝手に左にロールを打つと、そのまま制御を失います。アブトはカプセル式コックピットの切り離しを図るも、これに失敗。機体と運命をともにします。from Wikipedia

 

ソ連に先んじよ。テストパイロットの過酷な境遇。

39,000ftまで降下した処で、アブトはコックピットカプセルを切り離します。ところが、コックピットからの離脱に失敗したアブトは、エドワーズの北東8kmに墜落。機体と運命を共にします。残された機体は、空を暫し彷徨った後に自らハードランディング。一旦は、機体の修理が検討されますが、結局廃棄が決定します。

後退翼を採用した意欲的な設計の実験機X-2は、貴重なテストパイロット2名を失う最悪の結末に至ります。脱出の手順さえ省略したX-1と比べれば、X-2の辿った運命は余りにも悲劇的です。2号機の事故後、NACAと空軍は原因究明と抜本的な対策を成さぬまま、1号機で試験を続行しており、X-2の事故は起こるべく起きたと言えるでしょう。

しかし、時代は東西冷戦下。ソ連の脅威を前にして、停滞は決して許されないのです。毎年12月24日に、サンタクロースを追跡する呑気なNORAD(北米航空宇宙防衛司令部)。当時彼らは、レーダスコープを目を皿のようにして睨みつけ、いつ来るとも知れぬソ連の核爆撃編隊を探していました。

東西冷戦下にあっては、いち早く空を支配した者が世界を制する。それこそが正義だったのです。そして、米ソの技術競争の舞台は、宇宙へと向かうことになります。宇宙を制する者が、次なる世界を制する。新たな正義が、新たな競争へと世界を導くことになります。米ソ宇宙開発競争が、ここに幕を開けるのです。

 

参考文献

“チャック・イェーガー、逝く” 石川潤一著 航空ファン

2021年3月号 文林堂

世界の傑作機 No.67 X-プレーンズ

2007年11月 文林堂

General Chuck Yeager The Official Site

http://generalchuckyeager.com/

The Official Home Page of the U.S. Air Force

https://www.af.mil/

NASA

https://www.nasa.gov/

 

XS-1 1号機 米国国立航空宇宙博物館

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photo by NATIONAL AIR AND SPACE MUSEUM
 

文責:スバルショップ三河安城和泉店 営業:余語

 

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