人類を宇宙へ。フォン・ブラウンとコロリョフの奇跡の生涯 その3 [2024年10月24日更新]
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コロリョフに立ちはだかる、グレトルップの分厚い壁。
R-3を知らないグレトルップと、G-4を知るコロリョフ。
[左]ペーパープランに終わった、コロリョフのR-3。Heriberto Arribas Abato, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
G-4を当て馬に開発推進が命じられた、R-3。しかし、R-3はペーパープランに終わります。その理由は、第一世代のV-2/R-1の10倍、第2世代のR-2/G-1の5倍という、荒唐無稽な目標設定にあるでしょう。政令が発行された1948年4月14日の段階では、まだR-1の発射試験さえ行われていないのです。全ては机上の空論に過ぎませんでした。
ペイロード3,000kg、射程3,000kmを達成するIRBM。これに対し、コロリョフは幾つかのプランをリストアップします。翼の空力的効果で射程の延伸を図るプランは、現実的なアイデアの一つでした。胴体に翼を与えるプランや、弾頭に翼を付加するプランが検討されますが、極超音速領域での空力加熱の問題と正確な誘導に難があったため、ボツとなります。ヘルメスII同様の2段式かつ2段目をラムジェット推進とするアイデアも検討されています。この他、ドロップタンクを備えた2段目によって射程6,000kmを考慮したプランや、ロケット3基を並列に束ねて2基をブースターとするプランも存在していました。
ただ、これらプランが、グロドミリャ島で検討されたプランに近似していることは注目に値します。少なくとも、ドイツ人はR-3の存在すら知らぬ一方で、コロリョフはG-4の全図面に目を通す権限を有していたことは間違いありません。
スターリンに会える男、コロリョフ。
コロリョフは、1949年の何処かのタイミングでスターリンに面会し、核兵器とその運搬手段を巡って話し合ったとされています。異常なまでの猜疑心を持つスターリンに面会できる人物は、決して多くありません。囚人コロリョフは強力な後ろ盾を得て、自らの立場を盤石とし、この後自らの天命に邁進していくことになります。
ただ、ドイツ人のプランに尽く破れ続けたグロドミリャ島の事実を見ても分かる通り、コロリョフは決して優れたエンジニアではないかも知れません。しかし、彼は自らが天賦の才を持つディレクターであることを理解した時、恐ろしいまでの能力を発揮することになるのです。
1949年11月、12月の科学技術評議会特別セッション。ここでコロリョフが提示したR-3の設計案は、1段式のシンプルなものでした。大量の推進剤を搭載するがために、全長27.1m、胴体直径2.8m、全備重量は70t近くに達し、R-2に比してサイズは1.5倍、重量は3倍へ大型化。その一方で、推進剤タンクは機体構造と一体化され、空虚重量比をR-2の1/3とすることを目指していました。
R-3実現の鍵となるエンジンは、グルシュコの手によるRD-110と、アレクサンダー・ポリャールヌイが手掛けるD-2の競作となります。但し、推進剤をそれまでのアルコールに変えて、ケロシンを使用することが予め決定されていました。
R-3用エンジンはポリャールヌイとグルシュコの競作。
ポリャールヌイは、ザンダーとGIRDを立ち上げた古参のロケット技術者でした。D-2の詳細は不明ですが、何らかの新基軸を採用することで、比推力を22%改善し、真空中での比推力288秒という目標性能に達するプランを推進します。一方、グルシュコのRD-110は、V-2用エンジンの設計をさらに改善したもので、目標性能の実現を目指していました。
RD-110は、ドイツ人らと実験を進めたED-140をベースにしています。ED-140は革新的なフラットプレートのインジェクタと円筒式燃焼室を採用したサブスケールの実験用エンジンであり、この設計はこの後15年間に渡ってグルシュコの基礎となります。RD-110では、推力62kNのED-140用チャンバーを240mmから200mmへ小型化しつつ、圧力60MPaを維持。これら19個をプリバーナとして使用することで、推力1,370kNを発揮する計画でした。
コロリョフの選択は、より保守的なアプローチを取るRD-110でした。1949年6月、コロリョフはR-3設計案を完成させます。離陸重量71.72t、燃焼終了時の重量は8480kgとし、射程3,000kmを達成するため、ソビエト特有の鋭利な弾頭は4.7km/sで分離される設計でした。また、ペイロードを12tとする場合も、射程1,000kmの実現が可能でした。
G4に劣る、R-3。厳しい批判に晒されるコロリョフ。
R-3は、ありとあらゆる新技術を採用していたため、実証実験の必要がありました。そこで、サブスケールのR-3Aの製造が提案されます。R−3Aは、射程900〜1,000km、ペイロード1,530kg、空虚重量4,100kg、推進剤20.5t、推力392kN。実験機ながら、中距離弾道ミサイルのテストベッドとしての役割も期待されていました。計画では、1951年10月にはR-3Aの最初の試験飛行が行われる計画でした。しかし、R-3も、R-3Aも、実機が製造されることはありませんでした。
1949年12月7日、NII-88にてソビエト科学技術の本会議が開かれ、長距離弾道ミサイルに関して議論が成されます。ここで、コロリョフは望外の厳しい批判に晒されることになります。会議は明確にG-4の優秀性を評価しつつ、R-3及び特にRD-110について重大な懸念があることを糾弾したのです。第一に性能・推力の過大な飛躍、そして第二に新しい推進剤を使用すること。コロリョフは、D-2の設計では要求を達成するのは不可能と主張するので精一杯でした。
しかし、R-3は遂にぞ実現することはありませんでした。コロリョフの足を引っ張ったのは、またしてもグルシュコでした。意欲的な設計のRD-110は、この時点では解決不可能な重大な問題を抱えていたのです。
グルシュコのRD-110の燃焼不安定性が命取りに。
当時、ロケットエンジンの最大の懸念は、厳しい温度条件と強酸性の環境に晒されつつ高回転で作動するターボポンプでした。これに対しグルシュコは、大出力エンジン1基で全推力を賄うことが出来れば、ターボポンプを1基のみとすることができます。結果的に、エンジン全体のリスクを減じられると考えていました。ところが、そのために導入された19個のプリバーナに対する燃料供給の不安定性が、エンジン全体の燃焼を不安定にすることを強く指摘されたのです。
結果的に、R-3及びR-3Aに関して承認されたのは、プロジェクトN-1の名で継続される技術開発のみで、ミサイルそのものは承認されずに終わります。その事実さえ知らされぬドイツ人たちは、R-3に対して厳に技術的観点から厳しい指摘を継続しました。しかし、彼らの役目もここまででした。クレムリンは、彼らをドイツに送り返し、自分たちだけの力でロケット開発を進展させていくことを決断するのです。
1951年、グルシュコ及びポリャールヌイに対し、R-3用エンジン開発の打ち切りが通告されます。結局、製作されたのはRD-110のモックアップのみで、これは推進剤の噴射テストに用いられたものでした。
OKB-1の技術責任者に任じられたコロリョフ。
1950年4月26日、ウスチノフは、セルゲイ・コロリフをチーフデザイナーとし、長距離弾道ミサイルを専門とする、NII-88内の専門設計局第1号「OKB-1」の設立を承認します。OKB-1は、その生産工場とともに、1956年8月14日に機械製造総大臣の政令第310ss号により、NII-88から正式に分離されます。コロリョフは一国一城の主として、遂に我が城を得たのです。
ただ、この時点でコロリョフが得ていたのは、肩書きだけ。R-2はG-2に敗北を喫し、その設計の大半を受け入れざるを得ず、R-3も同様にG-4に完膚無きまでに叩きのめされました。ところが、クレムリンはドイツ人を追い出す手筈を既に進めていました。
OKB-1のチーフデザイナーを務めるということは、ソビエトの長距離弾道ミサイル開発を一手に引き受ける事を意味していました。それは、国家予算を使って大型ロケット開発を自ら主導できることを意味しています。宇宙への夢を叶えるには、前進しかあり得ません。ただ、敵はドイツ人だけではありません。コロリョフに取って代わる野望を持つ者は、グルシュコ以外にも自分の周りに潜んでいるはずです。グルシュコによる謂れのない密告により、コリマ鉱山で地獄を見たコロリョフは、猜疑心に心底冒されており、本心を見せることは決してなかったのです。これ以上の失敗は許されない、凄まじい重圧は次第にコロリョフの肉体を蝕んていくのです。
名称 | V-2 | R-1 | G-1 | R-2 | G-2 | R-3 | G-4 |
主任設計者 | フォン・ブラウン | コロリョフ | グレトルップ | コロリョフ | グレトルップ | コロリョフ | グレトルップ |
開発着手 | 1939年 | 1947年3月10日 | 1947年5月22日 | 1948年4月14日 | 1948年 | 1947年4月 | 1949年4月9日 |
初飛行 | 1942年10月3日 | 1948年10月10日 | 1949年9月25日 | ||||
制式採用 | 1942年12月22日 | 1950年11月28日 | 1951年11月27日 | ||||
射程 | 270km | 270km | 600km | 600km | 2500km | 3000km | 3000km |
発射重量 | 12.8t | 13.4t | 18.4t | 20.4t | 50t | 71〜72t | 66.6t |
ペイロード | 1000kg | 1000kg | 1000kg | 1500kg | 1000kg | 3000kg | 3400kg |
全長 | 14.0m | 14.6m | 14.4m | 17.7m | 24.5m | 27.1m | 28.0m |
最大直径 | 1.65m | 1.65m | 1.65m | 1.65m | 3.7m | 2.8m | 3.73m |
エンジン | RD-100 | RD-101 | RD-110 | ||||
燃料 | 75%エタノール | 75%エタノール | エタノール | 96%エタノール | アルコール | ケロシン | アルコール |
酸化剤 | LOX | LOX | LOX | LOX | LOX | LOX | LOX |
推力 | 265kN | 304kN | 313kN | 404kN | 1000kN | 1374kN | 1059kN |
チャンバー圧力 | 1.57MPa | 1.62MPa | 2.16MPa | 5.88MPa | |||
比推力 | 239sec | 237sec | 237sec | 285sec | 249sec | ||
海面上比推力 | 203sec | 203sec | 210sec | 244sec | 233sec |
初期のソビエト弾道ミサイル開発プログラム all data from Wikipedia