トヨタ「Woven City」が見せるのは、可能性か?未来か?はたまた、戸惑いか? [2020年01月10日更新]
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21世紀に突入して、間もなく20年。自動車業界が恐れているものの正体とは?
CASEに象徴される、自動車の変革期。自動車業界にけたたましく鳴り響くのは、まるで末法思想の如き狂想曲。一寸先も見えぬ闇の中、寄らば大樹の陰とばかりに、堰を切ったように合併を繰り返しています。
自動車業界をこれほどの疑心暗鬼に陥れているものは、一体全体何なのでしょうか?
それは「可能性」という恐怖です。あらゆる技術的可能性は拡大しているのに、その技術をどう提供すれば良いのか?どうカタチにすれば良いのか?どれが正解なのか?誰も理解できていないのです。技術はあるけれど、未来のクルマのあるべき姿が見えていないのです。
今、技術的可能性は無限に広がっています。しかし、どれが必須で、どれが不要なのかが分からない。すると、あらゆる可能性を考えて、全方面作戦を取らざるを得ない。例えば、動力源。EVだけじゃなく、HVにも、FCVにも可能性がある。かと言って、すべてを自力開発するとなれば、リソースも開発費も膨大になる。ならば、合併してシナジー効果で乗り切ろう。。。というわけです。
技術が示すのは、可能性だけです。その技術をどう活かすのか?誰も、その道標を示すことができていないのです。だから、皆不安に駆られているのです。
要素技術の集合体は「ベンリな機械」に過ぎず、時代を変えることはできない。
iPhoneは、世界の有り様を変えました。しかし、超小型デジタルカメラも、高精細液晶も、携帯アプリも、ネット接続も、すべて日本が先鞭をつけたもの。しかし、日本人が示したのは技術的可能性ばかり。それを誰にも分かるカタチで世に示したのが、アップルでした。そのスマホという可能性は、SNSを通じて無限に拡大しています。地球の裏側の人々と直接つながったり、声なき声が届いたり、圧政の現状を伝えたり、と。その可能性は、今後さらに広がっていくことでしょう。
ソ連の電子工学者ピョートル・ウフィムツェフによる物理工学的回折理論は、米国のステルス技術確立に多大な貢献を果たしました。しかし、当時のソ連には、この論文の価値を理解する者は誰一人としていませんでした。大切なのは、要素技術に意味と意義を与えることです。それが無ければ、技術は活かされず、人知れず埋もれていくことになります。
小さなカセットテーププレーヤー。それは、誰でも作れる製品に過ぎません。しかし、ソニーはそれをファッションとしての意味を与えることで、「音楽を持ち運ぶ」という新しい自由を人類に与え、音楽業界に革命をもたらしました。街の中で、電車の中で、森の中で何処でも音楽を愉しめる。それは、人々が本当に待ち侘びた自由でした。ソニーは、技術に意味と意義を与えたからこそ、世界を変えることができたのです。
要素技術の集合体は、単に「ベンリな機械」に過ぎません。その技術にどんな意味と意義を与え、何を生み出すのか?人々にどんな自由と可能性を与えるのか?それを誰にも分かるカタチで示すこと、それが何よりも大切なのです。
自動車業界は、未だにそれができていないのです。
トヨタが作る壮大な実験都市「Woven City(ウーヴン・シティ)」とは?
トヨタは、旧トヨタ自動車東日本東富士工場の跡地に、壮大な「コネクティッド・シティ」を建設します。総面積70.8万㎡に及ぶ広大な土地に、2,000人もの人々が暮らす、まったく新たな実験都市を作ろうというのです。
可能性だけでは世界は動かせません。実際に街を作り、そこに住む。そして、そこで一緒に未来を考えていく。そうしないことには、新しい未来のカタチは見出だせない、トヨタはそう考えたのでしょう。「Woven City(ウーブン・シティ)」と名付けられた「トヨタ製品」は、人類に新たなモビリティの可能性を示すかも知れません。
自動運転やMaaSの最大の障壁は、既設の複雑な交通環境に適応させることにあります。しかし、Woven Cityではその必要はありません。自動運転の可能性を最大化するように、センサー、ビーコン等のインフラを用意しておき、この街独自の交通ルールを定めてしまえば良いからです。ゼロから街を作るメリットは、そこにあります。
Woven Cityには、移動の制約は存在しません。誰しもが、そこにあるモビリティやロボットを使うことがでるでしょう。モノは買いに行かずとも、e-Palleteが届けてくれます。また、交通事故もありません。車道と歩道が完全に分離されており、交通の交差を極力排除した都市設計となっているうえ、速度も極端に制限されているからです。
この街で得られた知見は、未来の都市設計に活かされるとともに、モビリティのあるべき姿を示してくれることでしょう。
Woven Cityは、単なるセレブ専用街?膨大なコスト負担は、誰がする?
Woven Cityの中に於いては、自動車は完全に過去の遺物です。この街の中では走ることはできないでしょう。すべては、モビリティと呼ばれる世代の新しい乗り物が、その役を果たすことになります。
ただ、この街の住民とて、長距離移動はするでしょうし、御殿場のアウトレットに遊びに行くこともあるでしょう。さわやかのハンバーグを食べに行きたくなるかも知れません。となると、自動車も必要です。
逆に、Woven Cityのモビリティは、一切「外界」に出ることはできません。e-Palleteとて、実験用モビリティに過ぎません。既存の自動車法制に合わせて、ナンバーを取得する必要はないのです。それならば、トヨタはそうするでしょう。
つまり、現代都市と接続するには、自動車がどうしても必要になる。しかし、それは住民にとって二重負担です。もちろん、自動車はシェアリングとなるでしょうが、それでも応分の負担は免れません。加えて、住居、インフラ、モビリティと様々な最新設備は、居住コストを高騰させるのは間違いありません。
実験都市ではそれも許容されるでしょうが、この都市構造を実際に実践するとなれば、高所得者でなければ住むことができない、閉鎖的セレブ街でしか実現できないことになってしまいます。
しかし、それはトヨタとて本意ではないでしょう。すべての人々に移動の自由を。すべての人々に安全安心を。という社是から逆行してしまうからです。
それは、Woven Cityが「戸惑い」として示すことになるはずです。
多摩ニュータウンで実現していた、歩車分離の理想都市。
Woven Cityという壮大な実験は、人類に素晴らしい経験となるでしょう。しかし、それが全てではありません。Woven Cityは理想都市であって、現実の都市をこれに適応させるのは、費用が掛かり過ぎるため不可能だからです。
ところが、こうした試みは相当昔に行われていたのをご存知でしょうか。東京南西部の丘陵地帯に建設された、多摩ニュータウンがそれです。このニュータウンでは自然の地形を活かして、自動車道は切通しの下に設けられており、すべての住民は横断の際に横断歩道ではなく、団地1階と同じレベルにある歩道橋を渡ります。住民の動線と自動車道が完全に分離されているのです。
残念ながら、大規模ニュータウン開発というグランドデザインは以後放棄され、野放図に開発が進められたために、このような都市構造が広がりを見せることはありませんでした。
今日の多摩ニュータウンでは、計画造成された以外の場所にも住居が増えたため、住民の道路横断も日常の風景となってしまっています。
決定的に欠けていたのは、グランドデザインに対する信念でしょう。正しいと信念のもと一度定めたのなら、それに基づいて、粛々と進めていかねばならないはずです。しかし、意志に欠けていたからこそ、なし崩し的にご都合主義に転じて、理想はすべて無に帰すことになるのです。
グランドデザインを守り抜くには、強い意思が必要。NEXCOが守る、ドルシュの教え。
壮大かつ優美な構造を誇る、新東名高速道路。そこには、ドルシュの描いた理想が今も生きている。Batholith [Public domain]
日本の高速道路計画は、半世紀以上前に描いたグランドデザインを頑なに守り続けている希少な例です。
この原点を作ったのは、クサヘル・ドルシュというドイツ人技師です。日本道路公団は、日本で初めて高速道路(現:名神高速道路)を計画する際に、アウトバーン建設に携わったドルシュを「先生」として招聘しました。半世紀以上を経過し、公団が解体されてNEXCOとなってた今でも、彼らは教えを忠実に守っているのです。
山地を走る高速道路は、美しく雄大なカーブを描きます。橋梁はどれも壮大かつ優美で、SAは広々としていて、植栽もきれいに整えられています。道路上にも、SAにも、広告看板は一切ありません。こうした設計思想は、すべてドルシュのグランドデザインに基づいています。彼が、もっとも大切にしたのは「風景に完全に調和する美しさ」でした。
ただ、美しさはムダな投資ではありません。ちゃんと理由があるのです。煩雑な構造や、せせこましい道路設計は、ドライバーに恐怖心を与えるし、先の見通しが悪く、交通の流れにも支障を来す。だからこそ、自動車の安全な高速走行には適さない。そう、ドルシュは教えたのです。
ただ、工事は苦労の連続でした。名神高速道路は、国道さえ無舗装という時代に建設されたので、そこまでこだわるのかと呆れるほどだったと言います。手直し・やり直しは当然。設計変更も多い。それでいて、突貫工事という厳しさだったのです。
ドルシュの描いたグランドデザインを守らねばならない、という強い信念がNEXCOにはあるのでしょう。
どうなるか、どうあるべきか、分からない。なら、やってみよう。
さて、トヨタがWoven Cityに描き出すグランドデザインとは、どんなものなのでしょうか?
トヨタは、従来の自動車メーカーから、新たなモビリティカンパニーに進化すると宣言しています。しかし、モビリティだけでは、その変革には不十分だったようです。住居のみならず、インフラ、果ては街そのものまで定義せねば、新たなモビリティを定義することができない。トヨタは、そう考えたのでしょう。
これを機会に自動車に対する観念は、少しずつ変化していくはずです。今定義されているモビリティとは、自動車よりもレンタルサイクルに近い存在です。誰もが利用可能でインフラとして存在し、消費者はあくまで利用者でしかありません。
しかし、その費用負担は誰がするのでしょうか?利用者は、毎度使用料を払うのでしょうか?決済は電子マネーとして、肝心の高齢者は使えるのでしょうか?運営する事業体は、管理者は誰になるのでしょう。自動車メーカー?バス事業者?ベンチャー企業?自治体?
何が正しいのかは、やってみなくては分かりません。だからこその、Woven Cityなのです。Woven Cityは、世界に自動車の未来と可能性を示すことでしょう。そして、同時に実現への障壁も明示し、私たちはそれに戸惑うことになるでしょう。