水平対向エンジンは、良き伝統か。はたまた、悪しき呪縛か。 [2020年09月04日更新]
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「水平対向にあらずんば、スバルにあらず。」は、本当か。
スバルは、軽自動車生産から撤退して以後、自社製車両のすべてに水平対向エンジンを搭載してきました。水平対向4気筒は、スバルの技術的個性の象徴であり、すでに欠くべからざる存在となっています。
ただ、2012年以前は軽自動車用に直列4気筒を生産していましたし、初代ジャスティやドミンゴのように、自製直列4気筒搭載の登録車も無いわけではありません。ただ、偶然にもスバルを象徴するモデルの殆どが、水平対向エンジン搭載車だったために、登録車専業化と同時に、いつしかそれが「必然」にすげ変わってしまったに過ぎません。
つまり、「水平対向にあらずんば、スバルにあらず。」と言うのは、たった10年の伝統に過ぎません。2021年には、スバルはトヨタと共同開発中のBEVの発売を開始する計画です。そう、「水平対向専業」となるのは、スバルの歴史上たった9年間のみ。それは、「924」発売まで26年間に渡って水平対向専業だったポルシェよりも、ずっと短いものです。
そもそも、「水平対向にあらずんば、スバルにあらず。」とは、事実なのでしょうか?それでは、伝統ではなく、呪縛ではないのでしょうか?その呪縛は、スバルの可能性を狭隘なものにしてしまう事は無いのでしょうか?
水平対向エンジンは、FF方式実現のための手段の一つに過ぎなかった。
富士重工が最初に手掛けた4輪乗用車「P-1」は、社外製ながら直列4気筒。あの「"てんとう虫"360」は2サイクル直列2気筒。では、初めて水平対向エンジン搭載したスバル車はと問われれば、1963年に試作した「A-5」を挙げねばなりません。ところが、「A-5」は採用したFF方式に課題が多く、計画はお蔵入りとなります。が、技術陣は諦めることなく前進を続け、遂には世界初の本格量産FF車となる、スバル「1000」を実現します。
初期の太田技術陣を牽引した百瀬晋六は、徹底した理論派技術者でした。百瀬は「A-5」計画に際し、プロペラシャフトを用いるFR方式は明らかに非合理であり、フロントにエンジンを配するならば「FF方式とすべき」としたのです。百瀬の要求に対し、エンジンの最適解を求められた三鷹技術陣は、FF方式を実現するために、エンジン前後長を可能な限り短くしつつ、左右等長かつ可能な限り長いドライブシャフトを実現すべきとしました。そこで辿り着いた答えが、「水平対向4気筒」だったのです。
つまり、スバルが水平対向エンジンを採用したそもそもの動機は、今言われているような、高い運動性能と安全性能を実現するためではありません。そもそも、水平対向採用は第一義ではなく、FF方式の実現こそが第一義だったのです。
スバル初の4WD車は、ディーラーが勝手に作った改造車だった。
百瀬が理想とした、縦置き水平対向エンジン+FF方式は、思いもかけぬ処で更なる可能性を見出すことになります。それが、世界初の乗用4WDでした。
よく知られているように、スバル初の4WD車は、東北電力の求めに応じて宮城スバルが中古のスバル・1000を改造したもの。既存のトランスミッション後端に、510型ブルーバードのプロペラシャフト・リヤデフ・ドライブシャフトを追加した、急造の改造車でした。縦置き水平対向エンジン故に、スバル・1000の4WD化は存外に容易だったのです。
当時、4WDといえばジープ。当然、快適性なぞ皆無。夏・冬の保守業務は過酷を極めましたから、東北電力は乗用車の快適性とジープの走破性を兼ね備えた4WDバンを求めたのです。この試作車は1971年3月にスバルに持ち込まれ、各種検討した結果、技術的有効性があることを確認。これを以て、スバルは量産化を決意します。
スバル「ff-1 1300Gバン4WD」は、まずは数台が豪雪地帯向けに販売されます。続いて、1972年にはレオーネに本格的4WDバンを設定。スバルの「タフで快適な4WDバン」は日本の豪雪地みならず、「ファーマーズカー」として米国中部農業地帯でも大変な好評を獲得します。これは、30年後の米国市場での大躍進への布石となります。
4WDの技術的有効性を示した、AUDIとスバルのWRC参戦。
AUDIのquattroは、スバルのそれとよく似ていて、縦置き直列エンジンをコアに構成された4WDシステム。AUDIはその技術的有効性を証明するために、1981年から「アウディ・クアトロ」を擁してWRCへ参戦を開始。WRC史上初の4WDラリーカーは、登場するや否や圧倒的なポテンシャルでシリーズを席巻します。カラーリング以外はほぼ市販車同然とあって、ライバル達は4WDの恐るべき威力を認めざるを得ませんでした。
それまでは、重く複雑な4WDよりも、軽量シンプルなFRに利があるというのが、WRCでの常識。アウディは、その常識を一夜にして書き換えたのです。4WDにあらずんば、ラリーカーにあらず。WRCは、ターボ技術の発展もあって、凄まじい勢いで発展を遂げていきます。
1982年に導入されたグループBはベース車両を20台製造するのみで良く、その実態はプロトタイプマシンでした。1985年には、500ps級ターボエンジンに4WDシステムを組み合わせた、危険なバケモノマシンへと発展。そして、1986年。ヘンリ・トイヴォネンの悲劇的な死亡事故を機会に、FISAは危険なグループBの中断を決断します。1987年以降、WRCの中心となったのは、ベース車両5000台の販売を義務付け、市販車の面影をより強く残したグループAでした。
1990年、スバルも技術的有効性のプレゼンスのため、WRCへ参戦を開始します。以後の経過は、皆さんのご存知のとおり。GC8はWRCで大成功を収め、近代スバルの技術的アイデンティティを確立することになります。
栄華は長く続かず、成績は下降線。戦犯は、水平対向エンジンだった。
ところが、栄華は長くは続きませんでした。2001年に投入されたGDBは、ライバル達に比して明らかに大柄で、ツイスティなイベントで苦戦。以後、スバル勢は絶頂期の強さを取り戻すことはなく、2000年代後半には状況は殊に深刻化します。その戦犯が水平対向エンジンであることは、誰の目にも明らかでした。
この頃、WRCの技術競争は過激さを増していました。直列4気筒はドライサンプ化され、バルクヘッドぎりぎりに後斜マウントとして、重心及び重量配分を劇的に改善。水平対向エンジンの優位性は尽く奪われたばかりか、フロントの鼻先にエンジンをぶら下げるスバルのパッケージングは、ハンデとさえなったのです。
技術的優位性を失ったスバルは、直列4気筒勢の後塵を拝したまま、敗北を積み重ねていきます。にも関わず、スバルは水平対向エンジンでの参戦を継続。何ら打つ手のないまま、2008年には失意のうちに撤退を余儀なくされます。
スバルはWRC参戦の理由の第一に、水平対向を筆頭とするパワーパッケージの技術的優位性の証明を掲げていました。ならばこそ、水平対向エンジンでの挑戦を続けるしかありません。つまり、この時点で水平対向エンジンは、完全に「呪縛」と化していたのです。
現在に至るまで、スバルは水平対向エンジンにこだわり続けています。百瀬が水平対向エンジンを選んだのは、そこに理と利があったからです。しかし、モータースポーツに於いては、既に理も利もなく、他の選択肢を選ぶべき時は既に来ているように思われます。
でも、ファンはこう言うでしょう。「水平対向にあらずんば、スバルにあらず。」と。果たして、本当にそうなのでしょうか?そのヒントは、ポルシェにあります。
水平対向であろうと無かろうと、勝てば良い。そこから伝説が始まる。
ポルシェは、長らく水平対向エンジンを技術的象徴としてきました。ただ、ポルシェが常に優先するのは、伝統ではなく、モータースポーツでの勝利です。勝利の蓄積こそが、ポルシェというブランドを築き上げてきたからです。
2014年にWEC LMP1に参戦するに際し、ポルシェが選んだのは2.0LV型4気筒でした。クランクセンターが高く、エキゾースト流路が極端に屈折し、フラットボトム規定にそぐわない水平対向エンジンなぞ、現代モータースポーツではマイナスでしかないのです。ポルシェは、相当な覚悟を以てLMP1プロジェクトを進め、ゼロから開発された「919 Hybrid」は、アウディ、トヨタを完全に打ち砕いて、2015年からルマン3連勝を果たしています。
一方、伝統のフラット6でLM GTEを闘う「911 RSR」は、ミッドシップ化がなされています。BoPが適用されるにもかかわらず、GTEで苦戦を始めたのが、リヤエンジンを放棄した理由でした。技術的伝統に則っていても、勝てないのならポルシェではない。それこそが、ポルシェの技術哲学なのです。ただ、ワークスポルシェがBoPをうまく活用して、水平対向エンジンのハンデをカバーし、何とか戦闘力を維持しているのが現状。苦戦が続くのであれば、彼らは水平対向エンジンの放棄さえ辞さない事でしょう。
結局の処、水平対向エンジンであろうと無かろうと、勝てばよいのです。V型4気筒であろうと、BEVであろうと、モータースポーツで勝利すれば、そこに新たな伝統が誕生するのですから。重んじるべきは、伝統に束縛されることではなく、勝利のために常に革新を恐れないことです。
2012年、軽自動車生産からの撤退により、期せずして水平対向専業に。
世に珍しい水平対向エンジン、他を圧するターボエンジン、重低なボクサーサウンド、鮮やかなWRブルー、ボンネットのインテークダクト、金色のアルミホイール、巨大なリヤウイング等々、それらは近代スバルを象徴するアイテムとなります。WRCでの鮮烈なイメージは、良くも悪くもスバルを「特殊なブランド」として、色濃く染め上げていったのです。こうした中で、水平対向エンジンは「不可欠・不可分」な、スバルの技術的象徴へと意味を変えていきます。
ただ、「エンジンたるもの、すべて水平対向であるべし。」とは、スバルは言っていません。サンバーの搭載する直列4気筒エンジンは、他社に比して抜きん出て優秀なエンジンでした。赤帽専用車両に指定されるなど、絶対性能・静粛性・信頼性ともに高い評価を受けていたのです。
ところが、軽自動車市場の競争は、年々激化していきます。この激流の中で、スバルが勝ち残っていくことは容易ではありませんでした。2012年、トヨタとの業務提携に端を発する86/BRZの生産開始に備え、スバルは軽自動車生産から完全撤退。以降、軽自動車はダイハツからのOEM供給に切り替えられます。
この時点で、生産する自動車用エンジンは水平対向エンジンのみとなり、スバルは初めて「水平対向専業」メーカーとなります。結果的に、「水平対向にあらずんば、スバルにあらず。」とはなったものの、それは技術的理想を追い求めた末の結末ではありません。あくまで、中規模メーカーが必死に生き残りを掛けて努力してきた結果、辿り着いた境地だと言えましょう。