ホンダ×日産=0。自動車産業が歩む、破滅必至の道。 [2025年02月28日更新]

最新情報
 
100%
世界の自動車産業の未来とは。
 
2025年2月28日 自動車産業に忍び寄る、危険な罠。

ニュース ピックアップ [  最新情報  ]

次のページ>>1 2

 

文責:スバルショップ三河安城 和泉店

お問い合わせ:0566-92-6115

担当:余語

 

ソフトウェア開発を巡る、OEMの生き残り合戦。

自動車産業に於ける研究開発費の高騰は恐ろしいほどで、この10年で1.5倍にも達しており、この先さらに増加することが見込まれています。この状況を見れば、OEMが我先に大規模連合の形成に走るのも頷けます。この巨額投資の先にあるもの、それは、ちょっと今となっては古い言葉:CASE(Connected:コネクティッド、Autonomous/Automated:自動化、Shared:シェアリング、Electric:電動化)で形容される次世代自動車技術の数々です。これらCASE周りの研究開発費の中でも、莫大なものとなると推定されているのが、ソフトウェア関連の投資です。

第5世代戦闘機のF-35では、開発費の総額は驚きの6.1兆円、最新仕様(ブロック4)の開発費用は既に2兆円を超過していますが、その殆どはソフトウェアの開発費用。理由は、ネットワーク化。軍事技術では、これを「ネットワーク中心の戦闘」と呼び、各機体間での情報共有のみならず、偵察衛星、海軍艦艇、地上部隊など、戦場全体での情報共有/管理によるターゲット破壊・阻止の迅速化を実現しようとしているのです。莫大な費用を要しているのは、これを実現する大規模ソフトウェア。そう、今や金食い虫はハードウェアではなく、ソフトウェアなのです。

自動車産業も、遅かれ早かれ同じような状況に至るでしょう。つまり、ハードウェア開発は全体の数%に過ぎず、残りを巨額のソフトウェア開発費用が占めることになるのです。この大規模ソフトウェアの開発により実現するもの、それはソフトウェア・ディファインド・ビークル(SDV)と呼ばれているものです。

では、SDVが実現する未来とは、どんなものでしょう。現状の自動車はスタンドアローンで、ネットワークに依存せずにあらゆる機能を実行可能です。しかし、情報処理の高度化・集積情報の大容量化に伴い、今後は常時ネットワークへ接続し、ソフトウェアを常に最新状態に維持。自動運転やトラフィック管理など、車両間の情報共有を実現していくことになります。つまり、自動車のクラウド化です。例えば、交差点でのトラフィック管理や、車両間での死角情報の共有、渋滞回避ルートの設定など、様々な機能が実現することでしょう。OEMは莫大な投資を覚悟の上で、これら多岐に渡る機能を実現する大規模ソフトウェアの開発を目指しているのです。

 

門外漢のOEMがソフトウェア開発を主導する理由。

ここで一つの疑問が生じます。これだけ大規模なソフトウェアをOEM自らが開発するのは、果たして妥当なのでしょうか。OEMは自動車技術に専念し、餅は餅屋としてGAFAMに任せる訳にはいかないのでしょうか。OEMのソフトウェア開発能力は、到底GAFAMに叶うものではないでしょうし、そもそも生き残るソフトウェアは精々一つ二つだけでしょう。巨額の投資も、水泡に帰す可能性があるのです。

しかし、自動車技術には交通安全の普及とSDGsの推進を目指すための、「善意」と「技術倫理観」は絶対不可欠です。GAFAMは優秀でしょうが、彼らの作るソフトウェアが善意に溢れたものである保証はありません。逆に、ウェブ上に倫理観に欠けた広告が表示されたり、テスラが自動運転技術を「ベータ版」でリリースしたことで分かるように、彼らの技術倫理観は十分とは言えません。だからこそ、OEMらは自らの歴史に終止符を打ってでも、この大規模投資へ備えるべく、巨大コンツェルンを形成し、大規模ソフトウェア開発に備えているのです。

しかし、もしそうであるなら、世界中のOEMが足並みを揃えて、GAFAMと交渉すれば良いだけに思えます。世界から交通事故の芽を摘むためのソフトウェア、それは人類の明るい未来を切り拓くためのもの。それならば、競争ではなく、協調によって作られるべきでしょう。やはり、OEMはムダな競争により、自らの寿命を削っているように思えてなりません。それは、電動化にしても同じこと。OEM側が開発するよりデンソーとBOSCHが共同開発したものを、世界中のOEMが採用する方が、よっぽど理に適っているはずです。莫大なその開発費は私たち消費者が購入する車両価格に上乗せされており、価格高騰により消費者の車両購入意欲はますます低下する一方。国内では、車両販売台数の低下が深刻化しています。これこそ、見事な悪循環。

であるなら、今こそ選択と集中を断行し、OEMが絶対に開発せねばならない領域に絞って投資するべきではないでしょうか。つまりは、細くしなやかに時代の流れに身を任せる方が、理に適っているということです。この戦略を執る限り、経営統合にすがる必然性はなくなります。単独での経営維持も十分可能だと言えるでしょう。

 

Z世代以降の世代に、全く刺さっていないOEM。

じゃぁ、シナジー効果を諦めた時、OEMが生き残るには如何なる術が必要なのでしょうか。OEMが真っ先に考えるべきは、若年世代への対応です。1996~2012年に生まれたZ世代は、果たして最新のクルマに興味を持っているでしょうか。彼らの一部は旧車には興味はあるようですが、最新のクルマには余り興味がないように見えます。

彼らは、生まれた時から傍らにスマホがあり、心の奥底にあるドロはSNSで吐き出してきた世代。これまでの世代とは、まったく異なる価値観を持って育ってきた人々。でも、20年後には彼らは時代の中心となります。気に入られないブランドは、消え去るより他にありません。ですから、彼らZ世代に刺さるクルマを開発することは、技術論に右往左往するより、よっぽど大切なはずです。

Z世代は、中身へのこだわりやヒストリーよりも、カワイイとか、エモい、そんな言葉で形容されるモノに彼らは興味を示してきました。では、現代のクルマは、カワイイでしょうか、エモいでしょうか?どちらかと言うと、小難しいこだわりやヒストリーに主眼を置いてブランド価値を創出しているように思います。これでは、彼らに刺さらないのは当然です。

ジムニーは、Z世代に刺さった数少ないクルマの一つ。だからと言って、彼らがヒストリーや性能に興味を持った訳ではありません。崖を下って河原で転がりたい、だから購入した訳じゃないのです。彼らにとって、ジムニーのその姿、有り様がエモいと写っただけのこと。ちょっと前に狂乱的にバズったタピオカだって、大して美味しい訳でも、革命的な訳でもありません。素材にこだわったとか、製法を工夫した、なんてハナシも聞いたことがありません。派手にデコった見た目が、彼らにエモいと写った、ただそれだけです。確かに、軽薄短小かも知れません。でも、間もなく時代の中心は、そこへ移っていくのですから仕方ありません。

じゃぁ、翻って自動車はどうでしょう。クルマこそ、旧態依然とした価値観の申し子。最新のBEVなぞ、「デカイ・速い・エライ」それそのまんま。まずは、その価値観から脱却し、新たな価値体系を創造することから始めねばなりません。

 

BEV化がもたらす、デザイン劇的進化の可能性。

では、BEVに於けるデザインの技術的可能性から示してみましょう。BEV化によって、自動車デザインには劇的進化の余地が生まれます。その第一は、機器レイアウトの自由度です。BEVでは、鉄道車両の如くすべての主要機器を床下に収めることも可能です。これを「プラットフォーム」として、主要機器をモジュール化すれば、その上の設計はすべて自由になります。極端に言えば、乗用車にでも、オープンカーにでも、トラックにでも、バスにでもなるのです。エンジン車のように、駆動系レイアウトに束縛されることは、一切なくなります。

第二は、部品点数の減少によるコストダウンです。BEVが大失敗したのは、大艦巨砲主義。航続距離を追い求めるが余り、重量も性能も価格も際限なく増やしてしまったのが原因です。BEVが寧ろ最適解となるのは、航続距離は100km程度のコンパクト/軽量/シンプルなシティコミューター。ただ、それだけでは革新にはまだまだ不十分。

そこで提案したいのが、速度リミッター。例えば、60km/hで速度リミッターを掛けてしまえば、e-Axleも相応に小さく・軽く済みますし、何より安く仕上がります。軽量であれば衝突安全設計も相当にラクになりますし、バッテリ・インバータも小容量のため大袈裟な冷却系は不要でしょう。これにより、機器レイアウトはさらに自由になります。シャシーの価格帯は、150万円以下。誰にとってもアフォーダブルでなければ、造る意味がありません。

第三は、構造の簡素化です。自動車設計から自由を奪う「設計要件」の殆どは、高速走行を前提としたもの。この前提を無くせば、ありとあらゆるものから自由になります。サスペンションもシンプルでOK。ねじり剛性がどうのなんてのも、無意味。それ何処か、外板が硬い必要もありません。プニプニでも、プヨプヨでもOKです。逆に言えば、アレもコレも欲張るから、クルマはムダに高くなるし、制限も多くなってツマラナイものになるのです。

最後は、寿命の適正化。リチウムイオンバッテリの寿命は、エンジンのそれよりも短い。であるなら、クルマ全体の寿命もそれに合わせるべきでしょう。1992年、JR東日本は「価格半分・重量半分・寿命半分」という斬新なコンセプトの下、901系(後の209系)を試験導入。鉄道業界に革命を起こします。BEVが10年・10万キロが無理ならば、そこに設計寿命も適正化するべきです。それにより、BEVをさらにアフォーダブルなものにすることができるはずです。

これら4つの設計革新の下、BEVシティコミューターを開発すれば、誰にとってもアフォーダブルで、誰にとってもハッピーなものとなるでしょう。ただ、一つ条件となるのが、魅力的なデザインを有していること。

 

呪縛から逃れる唯一の術、デザインの完全外注。

そこで提案したい一つの解決策が、自動車以外の分野へのデザインの外注です。鉄道業界では、40年も前からこの手法を用いており、建築家や服飾デザイナーなど数多くの分野から新たな手法や知見、価値観を導入してきました。

顕著な成功例が、JR九州+ドーンデザイン研究所のプログラムでしょう。彼らは車両に始まり、駅やホテルまでデザイン。その

影響は地方鉄道にも及び、ドーンデザイン研究所デザインの車両は地方活性化にも貢献しています。彼らの最大の特徴は「鉄道はかくあるべし」との概念を、真っ先に排除したこと。JR九州のイベント車両は、マニア的視線では大したものではありません。でも・・・いや、だからこそ、鉄道に興味のない人々に、かけがえのない時間を提供します。空間設計と雰囲気作りは素晴らしく、訪れた旅行者をあっという間に別世界へ連れ去ってくれます。

自動車も、こうした例に倣うべきでしょう。クルマだって、クルマ好きの概念を完全無視したクルマがあって良い。走る・曲がる・止まるがどうの、とか。限界領域でアンダーがどうの、とか。大抵の人にはどうでもイイのです。それより、心にビビットに刺さる「何か」を求めている、のではないでしょうか。

ただ、自動車にも他分野のコラボ事例がなかった訳ではありません。スバルもかつてアパレルブランドとのコラボをしましたし、トヨタのWILLなども同様の事例といえます。ただ、これらの試みは大きな成功を収めることはありませんでした。その理由は、中途半端さ。主に技術的な問題から、デザイナーの意見を100%反映できなかったからです。

エンジン車にはパッケージングを筆頭に、様々な技術的制約があります。ですから、何から何までデザイナーに一任、という訳にはいきません。しかし、BEVとなれば、技術的成約は一気に少なくなります。そう、BEVなればこそ、エモいデザインを実現する可能性が生まれるのです。

さて、こんなBEVのプラットフォームを前提に、すべてをデザイナーに一任したら、どんなクルマになるでしょう。ファンシーグッズのデザイナーなら、どれだけカワイイものになるのでしょう。前衛的な建築家なら、如何なる空間を構築するでしょうか。インテリアデザインの専門家なら、どんな香りで空間を包むでしょうか。はてさて庭師なら、苔を生やすでしょうか。それらはきっと、誰が見てもワクワク・トキメキが止まらない、今まで誰も見たことのないほど斬新で、カワイイ、エモいものとなるでしょう。

 

クルマをツマラナイものにする壁を打ち壊せ。

ただ、こんな事実現できるはずがない。非現実的だ、と仰る方もいることでしょう。自動車には衝突安全性や走行安定性など、数多くの設計要件、つまり「壁」があり、非現実的なデザインの実現を阻んでいます。それだけではありません。現在の自動車産業は、現在の自動車に「完全に最適化」されています。つまり、世界に冠たる生産性も、サプライチェーンも、コストダウンも、品質も、信頼性までも、すべてが「鉄板+ガラス」製の自動車に適用されて始めて、発揮されるものなのです。

そう、この「壁」こそが、現代の自動車を「代わり映えしないツマラナイもの」にした張本人。ホンダが初代NSXを造った時代とは違い、今オールアルミ製のクルマを開発するとなると、数十倍のコストを要します。安全性や品質等々様々な要因がコストを押し上げ、損益分岐点を遥かに越えてしまう。だからこそ、ホンダは2代目NSXを「鉄板+ガラス」で造らざるを得なかったのです。

そんな状況の中で、画期的なBEVを開発しようものなら、即座に却下されるでしょう。「そんなもの、前例がない」と。ここに搭乗するのが、所謂「抵抗勢力」というヤツです。でも、彼らは大切なことを忘れています。自動車というモノ自体、そういう壁を打ち破ってきたからこそ、今があることを。

米空軍の次世代爆撃機B-21では、デジタルツイン技術のフル活用によって、初号機を製造する量産ラインの後方には地上試験機及び量産機が列をなしている、と発表されています。機械技術者の誰しもが夢見る、「試作機ゼロ」「初号機=量産1号機」が実現しているのです。自動車も同様に、利益率の上積みを理由に、少品種大量生産から多品種少量生産へと転換していくことでしょう。その流れの中で、「初号車=量産1号車」も実現するはずです。

では、新型車開発の何処にそんなに手間が掛かるのでしょう。試作車が必要とされる理由は、「走り込み」にあります。ドライバビリティやNVHと言った「こだわり」が、非常な手間・手数を要するのです。しかし、速度リミッターを掛けたBEVシティコミューターとしたら、どうでしょう。こだわりの必要性は一気に低下して、開発の手間・手数は減少。多品種少量生産実現への道が拓かれるはずです。そうすれば、時々刻々と変わる時流に合わせたBEVを次々に送り出す、といった芸当が可能になります。

ただ、インパネの素材が変わった程度で、そこに大袈裟な対価を払う消費者はいないでしょう。多品種少量生産で肝心なことは、マスプロダクトからの脱却にあります。

 

今すべきは、技術論ではなく、価値づくり。

何を言いたいかと言えば、今OEMがすべきは「技術論に基づくシマの奪い合い」ではなく、Z世代がトキメキを感じる「新たな価値の創造」だということ。消費者が大金と引き換えに購入するのは、技術ではありません。そのクルマで得られるであろう「価値」なのです。

大失敗に終わった高性能BEVは、技術論に終始した結果、価値づくりに失敗した象徴的存在。3t・1000万円超のBEVに、一体何の価値と環境効果があるのでしょう。BEVの航続距離が伸びないのなら、ディーラーでHEVのシェアリングサービスを始めれば良いだけのこと。ちょっと考えれば、誰だって分かるハナシです。技術論だけに囚われるから、このような袋小路に陥るのです。

今議論すべきは、消費者不在の技術論よりも、消費者が何を求め、何を欲しているか。時代が何を求め、何を欲しているのか。そして、地球環境の持続のため、あるべき自動車の姿・価値は何か。そもそも、人類にクルマは必要なのか。という、自動車の価値に関する根本的な議論をすべきです。それをせず、昨日の論理を明日の正義としてきたからこそ、クルマはこんなにもツマラナイ・クダラナイものになってしまったのです。

BEVの航続距離をムダに増やすのなら、航続距離の短いBEVにどんな価値を付与できるか、を先に考えるべきでしょう。そもそも、大規模ソフトウェアのために巨大なデータセンターを24時間365日稼働させるのなら、電動化によるCO2削減はまったく意味を成さないはずです。技術的進化は、確かに必要です。しかし、必要のない進化は、まったくのムダです。

手先が器用に進化した鳥はいません。彼らは、小型軽量な嘴を駆使して、器用に事を成します。その方が、生存に絶対不可欠な運動性と航続性能を伸ばせるからです。

だいたい、私たちは100%集中せずとも安全運転ができるのに、常時ネットワーク接続しないと安全自動運転は実現できないのでしょうか。だったら、自分で運転した方が、よっぽど安全で、よっぽど信頼できるのではないでしょうか。もしそれが実現したとして、一体どれだけの人がそのサービスを利用するのでしょうか。「完全自動運転サービス開始!但し、月額3万円!!」となったら、誰だって自分で走るでしょう。だって、今までも自分で走ってきたのですから。

消費者価値が上がるのなら、大衆はコストの上昇を許容します。しかし、コスト上昇が価値上昇に見合わなければ、大衆はコスト上昇を拒否するでしょう。つまり、大衆は大規模ソフトウェア「レス」のクルマを購入するでしょう。

 

次のページ>>1 2

 

スバルショップ三河安城 店舗案内

スバルショップ三河安城本店
スバルショップ三河安城和泉店
 

>>最新情報一覧

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

JAPAN MOBILITY SHOW 2023...

2023年10月12日 スバル

 
 

夏季休業のごあんない

2023年08月12日 スバル

 
 
 
 
 
ニュースピックアップ