スバルの水平対向エンジンが生産累計1,500万台を達成。 [2015年02月19日更新]
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2015年02月19日 スバル
富士重工業、水平対向エンジン生産累計1,500万台を達成。
スバルのアイデンティティのひとつである、水平対向エンジン。2月17日、この水平対向エンジンが生産開始から49年目で累計1,500万台を達成したとして、富士重工業が発表しました。
今回は、水平対向エンジンの歴史を簡単に振り返ってみましょう。
スバルが選んだ理想のエンジンレイアウト。
富士重工が、1954年に初めて手掛けた試作車両「すばる」はプリンス製のエンジンを搭載していました。1958年から量産を開始したスバル「360」は空冷2スト直列2気筒でしたので、水平対向エンジンはスバルの最初期から搭載されたものではありませんでした。
水平対向エンジンのデビューは、スバル「1000」が発表された1966年のことです。当時としては画期的なFF方式を実現していて、後年世界的にFFが主流となるその始祖ともなった革新的なモデルでした。
当時のスバルのエンジニア達は、戦後航空機エンジニアから転身した者が数多くおり、そうしたエンジニア達は常識や概念にとらわれずに自由な発想で、理想の乗用車を実現しようとしていたのです。スバルの水平対向エンジンは、その探求の結果選択された「理想のエンジン方式」でした。
スバルが水平対向エンジンを選択した理由。
室内空間を再優先としつつ、機械はあくまで裏方としてどれだけにコンパクトにレイアウトできるか。それでいて、機械的に極めて論理的なレイアウトであること。スバルが乗用車市場に参入するにあたり、スバルのエンジニア達は「360」の開発手法に倣って、あくまで理想的なレイアウトを追求していました。
富士重工ウェブサイトの「SUBARU Philosophy」には、以下の様な記述があります。
当時、スバルの自動車設計リーダーであった百瀬晋六氏は、新たに開発するFFセダン用のエンジンについて、設計者に「どんなエンジンであってもかまわないが、条件が5つある」と次のような指示を出した。
1.FFなので、ドライブシャフトの作動角をできるだけ小さくするよう、車体の中心にデファレンシュアル・ギヤを置く。
2.ドライバーが運転しやすいようにペダルの配置を決めてあるので、それは変更できない。
3.重心点を低くするためとボディデザインの自由度を大きくするために、エンジンの高さを低くしてほしい。
4.FFなのでフロントのオーバーハングを短くしたい。
5.乗り心地を良くするために振動が少ないこと。
このとき、エンジン設計部に所属していたエンジニア本田元光氏はこう回想する。
「百瀬さんは、エンジン形式にこだわったりしませんでした。すべてにおいて乗る人間が最優先ですから、寸法と性能だけを提示し、その条件にあったエンジンとミッションならば、どんな形式でもかまわないと言っていました。僕らは考えられる限りのアイデアを出して、最終的に3つの案に絞り込まれたのです」
百瀬晋六氏が提示した「乗用車のための条件」をふまえて、エンジン設計部が提出した3つのエンジン形式の案とは、横置き直列4気筒、縦置きV型4気筒、縦置き水平対向4気筒であった。
討議を重ねる中で、V型4気筒は、振動対策が困難であることからやがて除外された。横置き直列4気筒と縦置き水平対向4気筒との比較・検討が徹底的に行なわれた。水平対向エンジンは独自の量産開発エンジンとなるため、参考になる研究論文がない。すべての技術を自分達で開発していかなければならなかった。しかし、百瀬氏は水平対向エンジンを選んだ。その理由について、本田氏は次のように話している。
「ドライブシャフトが等長になり、しかも長くすることが可能だったからです。当時のFF開発で、最大の問題は、ドライブシャフトのジョイントでした。後にスバル1000の発表直前になって、優れたジョイントが完成したのですが、ジョイントに負担をかけないためには、ドライブシャフトを長くして等長にする必要があった。横置き直列4気筒では、それが難しかったのです」
斯くして、スバルは水平対向エンジンを選択することになり、理想の駆動系レイアウトとして今に続くことになるのです。そして、水平対向エンジンのFF方式は4WD化するのに理想的なレイアウトだったのです。しかし、このことは当初から意図したものではありませんでした。
ディーラーの改造作業により生まれたスバルの初の4WD「スバル1000バン」。
東北電力は電力設備の巡回・点検用としてジープのような四輪駆動車を使用していました。ところが、ジープはあくまで軍用を意図したもの。冬季には室内にも冷気が入り込むなど、作業環境は大変厳しいものでした。1970年、東北電力は宮城スバルにバンの4WD巡回車の試作を依頼。宮城スバルは、ニッサン「ブルーバード」から駆動系を移植し、たった10ヶ月で「スバル 1000 4WD」試作車を完成させました。宮城スバルはこの試作車を富士重工に持込み、量産化を提案。富士重工は「ff-1 1300Gバン」の4WDモデルを7台試作。これらは実際に販売され実用に供されたのです。
1972年8月、主力モデルの「レオーネ」への移行に合わせて「レオーネ エステートバン」に4WDを追加設定。ここに世界で初めて「乗用車の四輪駆動車」が誕生したのです。アウディがクワトロという名称で4WDモデルを販売するより、8年も前のことでした。
スバルの水平対向エンジンでは、直後にトランスミッションがレイアウトされています。このトランスミッション後方に後輪駆動系を設ければ、そのまま左右対称レイアウトの4WDシステムが完成します。シンプルで重量バランスに優れたこの4WDシステムは走りに抜群の安定性をもたらし、水平対向エンジンの低い重心と合わせ、スバルの走りの原点となったのです。
世界でたった2メーカー。希少な水平対向エンジン。
2015年現在、乗用車向けに水平対向エンジンを生産しているのはスバルとポルシェ、たった2社になってしまいました。スバルは4気筒と6気筒の双方を、ポルシェは6気筒のみを生産しています。どちらも、水平対向エンジンがブランドアイデンティティの一翼を担っており、今後も長く水平対向エンジンを作り続けていくことは間違いないでしょう。
クルマはあらゆる分野において急激に開発が進んでおり、開発費は年々上昇の一途を辿っています。その金額は、単一メーカーで支えるには厳しいものになりつつあり、世界中の自動車メーカーは生き残りをかけてあらゆる連携を模索しています。その結果、工夫をこらした個性的なメカニズムは次々に放棄されてしまい、共用品の増えたクルマたちは個性を失いつつあります。
そんな中、スバルの水平対向エンジン+シンメトリカルAWDシステムは、世界でも希少な個性的メカニズムとして、実に強烈な個性を放っているのです。この度、1500万台を達成した水平対向エンジン。今後、スバルの業績が順調に推移すれば、7年後には200万台を達成することになるでしょう。