家にいよう。特別企画 クラブ・スバリズム歴史発掘!技術的偉業10選 第4弾「デ・ハビランド コメット」 [2020年04月23日更新]

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「家にいよう。」特別企画
 
    2020年4月23日 第4弾「デ・ハビランド コメット」

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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

お問い合わせ:0566-92-6115

担当:余語

 

エンジニアなら知っておきたい。技術的偉業10選。

温故知新。古きを知り、新しきを知る。古きものには、様々な知見が内包されています。数多の失敗を重ね、多大な犠牲を払い、偉大な挑戦があって、モノは誕生します。しかし、その中には現代では全く見落とされてしまっているものも少なくありません。だからこそ、新しきを造る人々は、古きものを良く知る必要があるのです。

もちろん、高度に電子化されつつある現代技術と、20世紀の技術には大きな隔たりが存在します。自動車一つとって見ても、中身は全く似て非なるものへと進化を遂げています。

一方で、その本質は何も変わっていません。その本質を突き詰めて見ていく限りに於いては、技術に古いも新しいも無いのです。

ここに列挙したのは、小生が独断で選んだ、特筆すべき技術的偉業の数々です。もし、興味があれば、書籍をご購入の上で詳しく理解されることをお勧めします。

 

史上初のジェット旅客機が遺した、悲運の物語。

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ジェット旅客機時代の到来を告げた、デ・ハビランド・コメット試作初号機。British official photographer / Public domain

 

英国のデ・ハビランドが開発した、世界初のジェット旅客機。それが、コメットです。しかし、この機体が遺したものは、華やかな歴史的偉業ではなく、連続空中分解事故の解析を機会に見出された、疲労破壊という機械工学に於ける新たな知見でした。機械工学の発展は、多大なる犠牲の上に成立していることを忘れてはなりません。

1930年代には、世界をリードする航空大国だった英国。しかし、大戦終結後には、質より量で勝る米国に確実に差を広げられつつありました。特に、ペーパークリップ作戦と呼ばれる、ナチスドイツ降伏後の技術資料及び技術者の接収作業の効果は目覚ましく、米国は一躍航空大国へと成長することになります。

デ・ハビランド・コメットは英国航空産業の復権を図るべく、その威信をかけて開発された機体でした。計画は、1943年にスタート。1946年9月には、英国海外航空(BOAC)から7機の仮発注を受け、開発が本格始動します。

 

非力なエンジンを選ばざるを得なかった。

コメットの最初の躓きは、ジェットエンジンでした。当時、現代的な軸流式が有効であることは、既に誰の目にも明らかでした。しかし、英国ではこれを独自開発できなかったため、古めかしい遠心圧縮式を採用せざるを得なかったのです。加えて、量産機に搭載予定であった高出力仕様の開発が著しく遅延したため、量産機にも非力な試験機用エンジンを搭載せざるを得なかったのです。この非力なエンジン出力がために、より薄い外板を採用し、軽量化でこれを補うしかありませんでした。

コメット試作初号機は、1949年7月27日に初飛行。英国は、ジェット旅客機で世界の先陣を切ることに成功します。試験飛行は徹底的に行われ、改良も順次実施されていきました。1951年1月9日には、量産初号機をBOACに納入。地上支援体制や運行システムの確立を図るため、コメットは2年を掛けて世界各地を飛行。商用運行開始は、1952年5月2日。以降、量産機が順次納入され、コメットは世界にジェット旅客機時代の羽を広げていきます。

 

エンジンの出力不足で離着陸時の事故が続発。

コメットの運命は突如暗転、好転することの無いまま悲劇的結末を迎えます。華々しく就役したコメットは、就役早々事故を続発させたのです。

1952年10月26日、就役からたった26日目のBOAC機が、離陸に失敗。滑走路を逸脱して停止。怪我人は2名で済んだものの、機体はその場で廃棄処分となります。続いて、1953年3月3日にはカナダ太平洋航空機へ引き渡し移動中の機体が、同じく離陸に失敗。機体は土手に激突し、爆発炎上。6名全員が死亡します。さらに、6月25日にはフランスUAT航空機が着陸に失敗。滑走路を逸脱し、再び廃棄処分となります。

この時点で、致命的なエンジン出力の不足は明らかでした。デ・ハビランドはフライトマニュアルを改訂しつつ、主翼前縁にスラットを増設するなど改良を実施します。この時点では、コメットの真の「欠陥」は全く別の処に息を潜めており、気づく者はいませんでした。しかし、そのタイムリミットは目前に迫っていたのです。

 

潜んでいた悪魔が目覚め、猛威を振るい始める。

1953年5月2日、隠れていた悪魔が初めて猛威を振るい始めます。BOAC機が高度10,000ftから上昇中に強い雷雲に突入すると、突如機体は空中分解。機体は20km四方に散乱し、乗客乗員43名全員が死亡します。乱気流中の過大操作が原因とされましたが、悪魔の存在に気がつくことは出来ませんでした。

異常なまでに事故を繰り返すコメットを見た大衆は、ジェット旅客機は時期尚早と懐疑的になります。これを打ち消すべく、デ・ハビランドは航空ショーでアクロバティックな飛行を披露。悪評の一掃を図ります。

しかし、事故は更に続くのです。1954年1月10日、再びコメットを悲劇が襲います。BOAC機が高度26.500ftで地中海上空を巡航中に無線通信していると、破裂音と共に突如無線が途切れます。何の予告もなしに、機体が空中分解したのです。乗客乗員35名全員が死亡。水深150mに沈んだ残骸は、英国海軍により回収作戦が実行され、機体の65%の回収に成功します。

BOACは全機の運行を停止。世界各地から低空飛行で英国に呼び戻されます。

 

続発する原因不明の空中分解事故。

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英国海軍によりサルベージされた、1954年1月10日墜落機の残骸。Krelnik / CC BY-SA

デ・ハビランドは徹底した調査と対策を行いますが、これと言った異常は発見できません。耐空証明は再発行され、運行は3月23日に再開されます。しかし、運行再開からたった2週間後、再び悲劇がコメットを襲うのです。4月8日、高度35,000ftを巡航中に、同じく地中海上空で再び空中分解を起こし、乗客乗員21名全員が死亡。この機体は、製造からたった2年。飛行回数は僅か900回に過ぎませんでした。残骸は水深1,000m付近に沈んだため、回収は断念されます。

英国首相チャーチルは徹底調査を約束。国家を挙げて、徹底調査を開始します。コメット全機は再び英国に召喚され、耐空証明は再び取り消されます。

収容された遺体の検視結果によれば、急減圧があったことを示していました。そのため、一部にあったテロ説は否定されます。また、1月10日に墜落した機体の残骸を陸上で組み上げて、詳しい調査が実施されます。その結果、機体破壊が胴体中央部から始まったことが判明します。

 

機体丸ごとプールに沈める疲労試験。

すべての解析結果は、機体の予圧に伴う内外気圧差により、爆発的に空中分解したことを示していました。世界初のジェット旅客機であるコメットは、レシプロ機よりも高く予圧しています。機体は、高空で予圧され、地上では予圧から開放されます。この繰り返しが、金属疲労になることは既に考えられていました。

そのため、デ・ハビランドは高めの安全率で設計すると共に、5万40000回の飛行に耐えうる疲労強度を与えていました。その上、実際の2倍に相当する圧力を掛けて耐久試験を実施。1万8000回で亀裂が発生しており、疲労強度も充分備えていることを証明していたのです。そもそも、空中分解を起こした機体は飛行1200回という新造機であり、老朽化は考えにくいことでした。

そこで、1954年4月。コメットを丸ごと沈める巨大なプールを建設し、ここで実際に相当する予圧を繰り返す疲労試験を実施します。この試験結果に、すべての航空技術者たちは驚愕します

 

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