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フォン・ブラウンの傑作の一つ。レッドストーンの誕生。
米国宇宙開発の先駆け、レッドストーンの誕生。
1952年4月8日、ヘルメスC1の計画名称から変更、誕生の地に因んだ正式名称として「PGM-11レッドストーン」が与えられます。レッドストーンは、栄光への第一歩。V2に続くフォン・ブラウンの偉業として、米国宇宙開発の先駆けとして、米国初の有人宇宙飛行の礎として、燦然と輝く偉大な足跡を残していきます。レッドストーンこそ、米国宇宙開発の第一歩なのです。そして、それはフォン・ブラウンなしでは決して実現しないものでした。フォン・ブラウンは、徐々に米国に不可欠な存在へと存在感を増していくことになります。
レッドストーンは間違いなく「V2の子供」でした。NAA75-110エンジンも、エタノールと液体酸素を用いる推進剤も、誘導装置と機体制御に至るまで。保守的なアプローチを好むフォン・ブラウンは、主要コンポーネントの殆どをV2で実績のある機構・システムを継承していたのです。
ただ、レッドストーンの滑り出しは、決して良いものではありませんでした。その最大の問題は、民間委託を目指した複雑な製造プログラムにありました。
1952年9月18日、レッドストーン工廠では幾度か組織変更が繰り返された後、最終的に兵站ミサイル研究所誘導弾開発部となります。ただ、フォン・ブラウンの立場は、依然として陸軍の数多ある研究所のチーフデザイナーに過ぎませんでした。
誘導弾開発部、主契約者にクライスラー社を選定。
1952年4月1日、参謀本部は研究開発施設として継続的に維持することを理由に、レッドストーン工廠に組立ラインを設置する計画を却下します。主契約者となる民間企業の早期選定と、量産を担う工場の早期選定は喫緊の課題でした。
選定に際し、真っ先に検討対象から外されたのが、航空関連企業。「その性質上、常に空軍の契約が優先される傾向にある」のが理由でした。戦略抑止力整備を目的に、空軍は莫大な予算を獲得していました。複数の機体を並行開発し、製造中に旧式となる機体まで現れるほどでした。この後、戦術核兵器を巡って、陸軍と空軍は対立を深めていくことになります。
4月18日、誘導弾開発部は鉄道・自動車産業を中心に6社の候補者リストを提出。選定の条件に挙げたのは、ミサイルシステム一式の開発・設計・調達・製造・組立・納入に関わる全てを管理・調整可能な能力が備えているか否か。
ところが、クライスラー社を含む3社が入札を辞退。そこで、さらに3社を追加すると、最終決定を目前にクライスラー社が再び興味を示します。その理由は、ミシガン州ウォーレンにある海軍所有のジェットエンジン工場での生産計画がキャンセルされたことにありました。8月28日、誘導弾開発部はクライスラー社を主契約者として契約を締結することを参謀本部に要請。9月15日に承認し、10月28日に無事契約が締結されます。
海軍、クライスラーへのウォーレン工場の明け渡しを拒否。
誘導弾開発部とクライスラー社間の契約の内容は、レッドストーンミサイルシステムのコンポーネント、サブシステム、アセンブリの設計・開発・調達・製造・試験・組立の支援業務、コンポーネントの再設計に技術・人材を提供することでした。
クライスラー社が主契約者となったことに伴って、エンジンを提供するノース・アメリカン・アビエーション社、誘導制御装置に関連するフォード・インストゥルメント社、レッドストーン工廠を補助するレイノルズ・メタル社の3社は、以降クライスラー社の下請け企業として位置付けられることになります。
12月22日、クライスラー社の要請に対し、海軍省は海軍航空機向けジェットエンジン生産に使用されていない時のみ、他の防衛品生産に使用することを承認します。ただ、同時に海軍はそこで計画されているプログラムの情報を得ることを希望すると共に、海軍が必要とした時は120日以内に工場を明け渡すことを条件としたのです。
1953年12月、クライスラー社が月産5基の生産に体操する設備とスペースを検討した結果、ウォーレン工場全体の1/4に達する260㎡が必要と判断し、専有契約を結ぶことを求めます。ところが、海軍側は明け渡すつもりなど毛頭なく、要請を拒否します。海軍はウォーレンをジェットエンジン工場として維持することが最善と判断したのです。
海軍産業予備軍航空機工場の暫定使用計画を承認。
海軍は、有事の際にウォーレン工場が重要な役割を果たすと考えていました。朝鮮戦争停戦間もない当時、莫大な戦時需要に答える工廠の維持は、国家安全保障上極めて重要だと考えられていたのです。
工場の暫定利用が、海軍の利益を損なうことはあってはなりません。ただ、レッドストーンとて国家安全保障上、重要な戦術兵器システムに違いありません。となれば、同じ工場の敷地で2つの不可欠なプログラムが競合し、二者択一を迫られることとなります。この様な事態は、確実に国家の利益を損なうはずです。であるなら、レッドストーンは別の生産設備を提供されるべきです。
海軍省の拒否を知った陸軍参謀本部は、代替案の検討を求めます。そこで浮上したのが、海軍産業予備軍航空機工場でした。1954年9月27日に視察が実施されて同意に至ると、陸軍省と海軍省の間で24ヶ月間暫定的に使用する覚書がかわされます。
当初、レッドストーンの生産計画は、誘導弾開発部が最初の12基を納入、1955年5月以降はクライスラー社が製造を担うことを前提としていました。ところが、量産組立工場の準備が遅れたため、レッドストーンの生産計画は大きな変更を余儀なくされます。そこで、誘導弾開発部は12基の追加生産を受け入れます。
遅滞する計画、進まぬ生産、不足する予算、縄張り争い。
こうして、レッドストーン工廠では当初計画のRS-01〜RS-12に加えてRS-18〜RS-29が製造され、クライスラー社ではCC-13〜CC-17に加え、CC-30以降が研究開発指定のミサイルとして製造されています。レッドストーンの試験機には、RS及びCCから始まるシリアルNoが割り当てられており、RSはレッドストーン工廠で、CCはクライスラー社で製造されたことを示しています。
ただ、生産計画は大きく遅滞します。研究開発施設のレッドストーン工廠では月産1基が限界でしたが、クライスラー社も月産2基がやっとという状況で推移したのです。
予算の充当が常態的に遅れていたため、レッドストーン工廠の懐事情は常に厳しいものがありました。工廠の設備は順次拡充されているとは言え、まだまだ不足していました。垂直静止試験塔、推進剤貯蔵施設、ミサイル組立塔、ミサイル格納庫、部品格納庫の他、様々な施設の増築・新設が必要でした。これを補うために、次期計画の予算さえも充てたため、支払いは常に複雑を極めていました。
国家自らが開発を推進するソビエトでは、このような苦労は決してあり得ませんでした。フォン・ブラウンは、華々しい自由と引き換えに、予算確保と縄張り争いという至極くだらない争いに巻き込まれていくのです。ただ、フォン・ブラウンは決して諦めませんでした。
フォン・ブラウンとウォールト・ディズニーの夢とは。
1952年、フォン・ブラウンはCollier's Weekly誌の特集企画「Man Will Conquer Space Soon!」に記事を寄せ、宇宙ステーションのコンセプトを発表しています。この特集企画は、宇宙を専門分野とする各方面の専門家によって執筆されたもので、フォン・ブラウンもその一翼を担ったのです。
この企画は、ウォールト・ディズニーとの共同企画へと発展します。1955年3月9日にTVで放映された「Man In Space」は、教育的内容を多く含み、米国4,000万人が視聴したとされています。ロケットの歴史の解説から、宇宙で直面する様々な問題について、楽しいアニメーションと、フォン・ブラウンを含む専門家の解説で分かりやすく示したものでした。企画は好評で、「Man and The Moon」「Mars and Beyond」へと進んでいきます。
コロリョフと違い、フォン・ブラウンは宇宙開発の支持を得るために、自らの夢を壮大にカタチにして見せたのです。ただ、宇宙へ行くのは第一歩に過ぎません。フォン・ブラウンは、宇宙で人々が生活し、そこを基盤に月、あるいは火星に行くことを目標としました。問題は、それを誰が成し遂げるか、でした。米国では大衆の支持は不可欠です。逆に言えば、大衆の支持さえあれば、強大な予算規模を背景に、計画を凄まじい勢いで推進させることもできるでしょう。フォン・ブラウンは、夢をその手に掴み始めていました。
致命的な欠陥を抱え、使い物にならないレッドストーン。
PGM-11レッドストーンの機体概要とその性能。
PGM-11レッドストーンは、諸元は次の通り。全長:19.15mで、ボディユニット:7.72m、中央部胴体:8.89m、テールユニット:2.54m。上部胴体の直径:1.62m、テールユニットの直径:1.78m。空虚重量:7.843t、液体酸素:9.761tとエチルアルコール:7.11tに加え、過酸化水素:308kgを搭載し、離陸時の総重量:25.623t。搭載するエンジンはNAA・ロケットダイン社製75-110Aで、推力:333kN。燃焼時間:110secで、比推力:218.8sec。過酸化水素:2.72kg/sec消費し、推進剤勝利率は155kg/sec。射程:287km、飛行時間:370sec。燃料終了時の最大速度:1,480m/sec、最高到達高度:94km。
レッドストーンは、ボディユニットとスラストユニットの2つのコンポーネントで構成されます。ボディユニットは、ノーズユニットと呼ばれる弾頭と、誘導制御装置と機体制御用のフィンを搭載する後部ユニットで構成されます。スラストユニットは、2つの推進剤タンクを収納する中央部胴体と、エンジンを搭載するテールユニットで構成されます。
実戦配備されるレッドストーンのノーズユニットには、W39熱核弾頭(出力:3.8Mt)が搭載されました。全長:4.62m、底部直径:1.60m、中間部直径:1.37m、上部直径:0.61m。リング及びバルクヘッドのスパー構造に合金鋼の外板のリベット構造。後部ユニットとの接続はボルトで行われ、シリコンラバーのシールで気密を確保しました。
PGM-11レッドストーンの主要コンポーネントと構造。
後部ユニットは、全長:2.84m、最大直径:1.78m、機体を空力的に制御する4枚のエルロンを含めると、全幅:2.64m。構造はノーズユニットと同様。上部にはST-80安定化慣性誘導システムプラットフォームを搭載し、下部にはエアシステムに供給するための球形状の高圧空気(20.7MPa)容器を収納する他、エルロンを制御するアクチュエータが搭載されます。
中央部胴体は、全長:9.78m、直径:1.78m。設計上、大気圏再突入を考慮する必要がないため、軽量アルミニウム合金で構成されます。上部はアルコールタンク、下部には液体酸素タンクの構成で、機体鋼製の外板は省略され、アルミニウム合金製のタンク表皮が外板を兼ねる設計を採用していました。タンクの配置上、下部に置かれた液体酸素タンクの内部には、アルコールの充填/ベント配管が貫通する構造となっています。
テールユニットはアルミニウム構造で、全長:2.82m、全幅:2.90m。ロケットエンジンと、大気圏内の上昇中の気体制御に用いられる機体制御用フィン、推力偏向用のカーボンブレードで構成されます。グレトルップがG-2で試みたジンバルスラストは採用されておらず、ロケットエンジンは鋼管溶接フレームに直接ボルトで固定され、推力は中央部胴体の後部リングフレームに伝達される構造でした。
レッドストーンの心臓、ロケットエンジン75-110A。
ノースアメリカン・アビエーション社ロケットダイン部門が製造する液体燃料ロケットエンジン・75-110Aは、V2用39型に起源を持ち、推進剤:75%エチルアルコール・酸化剤:液体酸素を過酸化水素駆動のターボポンプで供給し、推力:333kNを発生させます。
XLR43-NA-1はレッドストーンへの搭載に際して、連続燃焼時間を延長する必要がありました。そこで、NAAは新たに「定格燃焼持続時間:110sec、推力遮断時の特殊推力減衰機能を備えた推力:334kNのロケットエンジンの設計・改造・製造・開発・試験のための一般的技術プログラム」を提案。新たにNAA75-110と命名された新エンジンのモックアップとプロトタイプ2基の納品が決定されます。NAA社との契約は順次拡大・改定され、1952年4月26日の追加契約により、試験機は19基へと増加。飛行試験に用いられる75-110Aは、性能特性や構成部品の改良により逐次進化。A-1〜A-7が開発されるものの、互いに互換性を有していました。
冷却は、再生冷却とフィルム冷却を採用。二重壁構造のチャンバー内を推進剤が循環。推進剤はノズル先端へ送られた後、チャンバー外壁を遡るように循環。熱を吸収した推進剤は、液体酸素と共に燃焼室へ噴射。インジェクタ外周から噴射された推進剤は、チャンバー表面に幕を形成。火炎から壁面を保護します。
75-110Aの構造と始動シーケンス。
75-110A始動の手順は、以下の通り。加圧バルブを開くとエアが供給され、過酸化水素が蒸気発生器に送り込まれます。ここで過マンガン酸カリウムペレットと反応して、水と酸素に分解されると共に、大量の熱が放出され、高温・高圧の蒸気が発生。この過熱蒸気が、ターボポンプのタービンを駆動し、同軸に配置された燃料ポンプ及び酸化剤ポンプを駆動。燃料と酸化剤を高圧で圧送します。ただ、これでは始動は不可能。ハイパーゴリック方式でない75-110Aでは、点火には火花点火装置が必要なのです。酸素系のメインバルブを開放し、液体酸素をチャンバーに送り込むと、スタータ燃料が放出され、火花で着火。パイロット燃焼が開始され、チャンバー温度は上昇していきます。続いて、燃料メインバルブを開放。燃料と酸化剤は事前設定された混合比で噴射され、可燃性混合物を形成。本格的な燃焼が開始されます。ターボポンプの回転が上昇し、定格速度に達すると、推力は90〜100%に到達。レッドストーンは離陸します。
燃焼終了は、ST-80により制御されます。外乱の影響を補正するため、ST-80が常に燃焼時間を継続的に演算。所定の時間に達すると、システムはエンジン停止信号を送信。過酸化水素遮断弁を閉じ、燃料及び液体酸素のメインバルブを閉鎖し、燃焼を終了。レッドストーンは分離され、不要となったスラストユニットは投棄されます。
4つのフェーズに分割される、レッドストーンの軌道。
レッドストーンの軌道は、一般的な大砲の砲弾とは異なります。大砲の砲弾は、砲身を一定の角度で傾け、発射の瞬間に全運動エネルギーを与えます。この砲弾が描くのが、基準軌道です。ところが、弾道ミサイルではこれは不可能です。発射の際は垂直でなければならず、ミサイルは100秒程度に渡って継続的に加速し続けます。
この問題を解決し、弾道ミサイルを目標に到達させる唯一の方法は、発射点を目標に近付けることです。ミサイルは垂直に発射された後、基準軌道に誘導されるため、軌道を傾けていきます。基準軌道に入った時点での速度と、基準軌道の理論速度が同じであれば、ミサイルは確実に目標に命中します。ただ、抵抗、風などの外乱考慮せねばならず、軌道の補正は不可欠です。
フェーズ1は、上昇ステージ。レッドストーンは発射後、垂直に上昇。4枚のカーボンブレードで機体を制御し、基準軌道に沿うよう軌道を傾けていきます。十分な速度に達し、空力的に安定すると、4枚のエルロンに移行。発射後96〜107secの間に燃焼終了。この段階で機体は大気圏外に到達しています。
フェーズ2は燃焼終了に始まり、発射後127secに実施されるスラストユニットの分離で完了します。爆発ボルトによって機体が分離し、減速したスラストユニットは落下していきます。
ST-80安定化慣性誘導システムプラットフォーム。
フェーズ3は、機体の分離から大気圏再突入で完了します。大気圏外では空力制御は不可能なため、作用・反作用を利用する空気噴射装置により機体制御が行われます。フェーズ4は、降下プロセス。切り離されたノーズは大気圏再突入を開始し、ターゲットへ向けて加速。目標へ突入します。
飛行するレッドストーンは6軸の自由度を有しており、ピッチ・ロール・ヨーは姿勢制御に、X・Y・Z軸の平行移動は誘導制御に関係します。レッドストーンに搭載される誘導制御システムが、ST-80安定化慣性誘導システムプラットフォームで、標準軌道からの姿勢のズレと変位の補正を実現します。
ST-80の安定プラットフォームと機体の間には、3つの変位計が設置され、ピッチ・ロール・ヨーの回転誤差を誤差信号として検出・測定。これを機体制御目標と比較し、誤差信号をゼロとするよう姿勢制御を行います。また、安定プラットフォームには加速度計とジャイロ加速度計が設置され、左右加速度を検出。この信号を1回積分して速度情報を、2回積分で変位情報を得ます。
誘導制御システムは、ミサイルの価値を左右します。当たらないミサイルなど、戦術的価値はゼロに等しいのです。ST-80は、極めて複雑なシステムながら、高い命中精度を実現しました。非常に優れた設計は、その後宇宙空間で大いに力を発揮することになるのです。
液体燃料ロケット最大の欠点。発射準備の煩雑さ。
レッドストーンは、熱核弾頭搭載時の射程が322kmに限られるため、兵器システムとして機動性は不可欠でした。西ドイツに配備した場合、前線のワルシャワ条約機構軍を叩くには、国境から150km程度まで前進せねばなりません。ただ、V2やR-5M同様に液体燃料を使用するレッドストーンの打ち上げには、壮大な地上支援部隊が必要となります。
設備の整った発射試験場と違い、敵地近傍で支援体制を準備するには、複数のリスクが存在します。第一は、敵からの被発見です。戦術核兵器は発射前に破壊するのが至上命題。ミサイルの組み立てと燃料充填を含め、発射準備には5〜6時間を要するため、位置の秘匿は生存性を大きく左右します。第二は、輸送性の問題。戦時下に於いて、巨大かつ繊細なミサイルに加え、多数の支援機材を敵の攻撃を回避しつつ確実に輸送することは容易ではありません。第三は、不整地での発射精度の確保。発射位置を秘匿可能な場所は、発射に最適な条件が揃っているとは言えず、不整地で発射台の設置精度を確保するのは容易ではありません。第四は、液体酸素の供給の問題です。充填中は盛大に蒸気が発生する他、極低温の液体酸素を集積地から遠方まで運搬せねばなりません。
レッドストーンは機動性を確保するため、発射には移動式発射台を用いる他、支援機材はトラック及びトレーラに積載されて、様々な場所を展開可能な体制を構築していました。
レッドストーン発射部隊を形成する、様々な支援機材。
発射部隊では、ノーズユニットを積載するXM481・セミトレーラ、リヤユニットを積載するXM480・セミトレーラ、スラストユニットを積載するXM482・トレーラの3台にレッドストーンを分割して輸送します。輸送中は四角いコンテナ状のケースに覆われ、ミサイルの存在を秘匿します。
分割されたユニットを組み立て、最終的に直立させるのが、エレクター・XM478です。HフレームとAフレームで構成されたエレクターは、折り畳まれたHフレームを展開。Hフレームの先端に移動式発射台・XM74を据え付け、Aフレーム先端の滑車を介してミサイルに取り付けられたワイヤーを巻き上げることで、ミサイルを発射台上に起こしていきます。
移動式発射台は、構造こそ堅牢になったものの、基本的にV2を踏襲したもの。設置する地面の強度は最も重要で、発射台がミサイルの重量に負けて沈み込むことのないよう、慎重に地盤の調査が実施されます。
AN/MSM-38は、ガイド付きミサイルプログラミングテストステーションと呼ばれる小型トラックで、発射準備の際のコンポーネントテストを実施し、軌道データの入力を行います。ミサイル及びAN/MSM-38に電力を供給するのは、発電器セットと配電盤の各小型トレーラです。この他、ミサイルの各部制御に用いるエアを生成するコンプレッサ、エアタンクの他、バッテリ輸送用のトレーラ。空気を窒素と酸素に分離して、液体酸素と液体窒素を生成するエアサプライトレーラと空気分離トレーラ。燃料となるエタノールと液体酸素、過酸化水素を輸送する各トレーラも随行します。
コロリョフが成し遂げた偉業が、フォン・ブラウンにチャンスをもたらす。
1953年8月20日、レッドストーンが産声を上げる。
1953年8月20日、雄大な大西洋に面したフロリダ州ケープ・カナベラル。レッドストーンは今まさに産声を挙げようとしていました。レッドストーン工廠で最初に完成したRS-01は、誘導制御装置は暫定的にLEV-3を搭載。75-110エンジンはプロトタイプのA-1を搭載していました。轟音鳴り響き、リフトオフ。オレンジに輝く光跡を残して、RS-01はフロリダの空を駆け上っていきます。しかし、試験は失敗に終わります。発射後80secでLEV-3が誤作動したのです。
RS-02の発射試験が行われたのは、それから5ヶ月後の1954年1月27日。RS-02は順調に飛行し、試験は成功を収めます。1954年中にRS-03、RS-04、RS-06の発射試験が実施されますが、何れも失敗に終わります。
失敗を繰り返しつつ、レッドストーンは次第に完成度を高めていきます。この後、レッドストーンは研究開発飛行試験で素晴らしい成果を残します。研究開発指定のレッドストーンは57基準備され、7基が地上試験及びトレーニングに用いられ、37基が研究開発を目的とした飛行試験に使用されました。ただ、これら37基のうち、レッドストーンとして飛行したのは12基に過ぎません。残りの機体は、実態はそのままレッドストーンですが、新たにジュピターAの名称が与えられているのです。
フォン・ブラウン、米国市民権を得る。
ジュピターAは、ジュピター計画に基づいて打ち上げられたレッドストーンでした。ジュピター計画は、ひょんな事から誕生し、当初の目的を果たさぬまま紆余曲折を経て、遂にはアラン・シェパードを宇宙へ届けることになります。
1955年9月、フォン・ブラウンは国防長官とのブリーフィングの中で、レッドストーンの技術的延長線上の計画として、射程:2,400kmのミサイルが実現可能であると指摘し、2億4000万ドルの費用で50基の試験機を生産する6年間の開発プログラムを提案します。これを受けて、1955年12月に国防長官チャールズ・E・ウィルソンは誘導弾開発部に対し、レッドストーンに代わる海上/地上発射中距離ミサイル・PGM-19ジュピター(射程:1,600km)の開発について、海軍と共同で進めることを要請。ここにジュピター計画が誕生します。フォン・ブラウンは陸軍の枠を出て、国防総省直轄のプロジェクトを与えられたのです。フォン・ブラウンは、誇りある米国国民として、新たなステップへ踏み出そうとしていました。
1955年4月14日、アラバマ州ハンツビル高校で1,200人の市民が参加して、盛大な祝賀式典が催されます。フォン・ブラウンは、ペーパークリップ作戦で米国で囚われの身となっていたドイツ人技術者40人らの家族と共に、正式に米国市民権を得たのです。
ABMAの誕生とジュピター計画の始動。
1956年2月1日、フォン・ブラウンを取り巻く状況はさらに変化します。誘導弾開発部が、陸軍の大型弾道ミサイル開発を担う組織として、陸軍弾道ミサイル局(ABMA)へと発展的に移行したのです。ABMAは陸軍兵器ミサイル司令部(AOMC)の隷下に置かれ、指揮官はジョン・B・メダリス少将、技術責任者にはフォン・ブラウンが任じられました。OGMC時は指揮官が少佐でしたから、組織が大きく成長していることが伺われます。
資金難に悩んできたレッドストーン工廠ですが、漸く充実の時を迎えます。ジュピター計画の潤沢な予算が提供され、付帯設備の整備が進められていったのです。
より大型のミサイルが実現すれば、より大きなペイロードを軌道上へ送り届けることができます。フォン・ブラウンは宇宙へ、月へ、大きなチャンスを目前にしていました。
フォン・ブラウンのチームが設計したジュピターは寸詰まりの胴体が特徴で、これは艦上から発射されることを意図したものでした。ただ、本格的な試験に移行するに先立ち、ジュピターAの発射試験が行われます。ABMAがジュピターAの名称を用いた理由は2つあり、一つはジュピター計画の予算を使えること、もう一つはケープカナベラルで優先的に打ち上げが実施できることにありました。
ジュピター計画の進展と、陸軍と空軍のいざこざ。
レッドストーンはジュピターAとして25基が発射試験に供され、ST-80の他、迎え角センサー、弾頭分離システム及び爆発ボルトの試験が実施されています。1956年9月に実施されたRS-22では、比推力の改善を目的に、非対称ジメチルヒドラジン60%とジエチレントリアミン40%を混合した新燃料ハイダインを用いた試験が実施されています。
ジュピター計画に於いて再突入機の設計を進めるに際し、データの収集の必要性が指摘されます。そのために開発されたのが、ジュピターCです。ジュピターCは、レッドストーンをブースターステージとして用いるために、胴体を2.4m延長して燃料搭載量を増加。上段には、小型固体燃料ロケットのクラスターが据えられました。ジュピターCは、1956年9月20日に初の発射試験を実施。前例のない速度で飛行します。1957年には、ダミーの再突入機を用いた試験が2回実施されます。
ところが、ジュピターの開発に関して空軍がこれに異を唱えます。空軍が1947年に陸軍から独立する際、射程1,600km以上のミサイルは空軍の管轄とするとの内容に暗黙の合意を得ていたのです。ここに、ジュピター計画を巡って、陸軍と空軍の争いが勃発します。
空軍は、ABMAの能力に懐疑的でした。特に、フォン・ブラウンのチームが主張する0.8kmの命中精度に対し、致命的に楽観的だと指摘したのです。
コロリョフが、米国にNASAを作らしめる。
ジュピターに関する空軍内の議論が熱を帯びるにつれて、空軍と陸軍の対立は激しさを増し、遂にはマスコミを巻き込んでの大論争へ発展します。そこで、1956年11月に国防総省は重要な決定を行います。これまで陸軍の管轄下に置かれていた長距離弾道ミサイルを、すべて空軍の管轄下に移管。重複する計画を統合することを決定したのです。
ところが、空軍は独自に長距離弾道ミサイル・PGM-17トールの開発を進めていたため、我が娘可愛さにジュピター計画の存在を意図的に無視します。そこで、ウィルソンはABMAにジュピター計画を継続させ、最終的に空軍へ配備することとします。
長距離弾道ミサイルの管轄を空軍に置くと決めた国防長官の判断により、ABMAは苦境に立たされます。フォン・ブラウンのチームは、仕事を失てしまったのです。ただ、世界の至宝たるフォン・ブラウンのチームを短距離弾道ミサイル開発に任じることは、どう贔屓目に見ても得策とは言えませんでした。
ところが、この逆境こそがフォン・ブラウンを月に至らしめるのです。そう、アイゼンハワー大統領が、宇宙開発の業務を軍と引き離すことを目的に、新たな組織の設立を決定するのです。そう、NASA(米国航空宇宙局)の誕生です。アイゼンハワーにそう決断させたのは、あの男。チーフデザイナー、セルゲイ・コロリョフでした。
参考文献
月をめざした二人の科学者〜アポロとスプートニクの軌跡〜
的川泰宣著 中公新書刊
V-2ROCKET.COM A-4/V-2 Resource Site
http://www.v2rocket.com/
Russian Space Web.com News and history of astronautics in the former USSR
http://www.russianspaceweb.com/index.html
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http://www.astronautix.com/
BIG BOOK OF WARFARE
SPACE ENGINE ENCYCROPEDIA
https://www.alternatewars.com/BBOW/Space_Engines/Russian_Engines.htm
WS WARSPOT
https://warspot.ru/
WHITE SANDS MISSILE RANGE MUSEUM
https://wsmrmuseum.com/
UFX technology, culture, cold war, ufos
http://ufxufo.org/index.htm
My Army Redstone Missle Days
http://www.myarmyredstonedays.com/
NASA : SP-4401 NASA SOUNDING ROCKETS, 1958-1968: A Historical Summar
https://history.nasa.gov/SP-4401/ch3.htm
HISTORY OF THE REDSTONE MISSILE SYSTEM
John. W, Bullard Project No. AMC 23 M 15,Oct,1965