スバルショップ三河安城の最新情報。スバル、UH-X用整備工場を宇都宮製作所に建設。| 2018年1月24日更新
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UH-X用整備工場を宇都宮製作所に建設。
今や、富士重工ではなくSUBARUとなったスバルは、2018年1月18日に航空宇宙カンパニー宇都宮製作所への「新用途ヘリコプター(陸上自衛隊UH-X)および民間機412EPI発展型機」用の整備工場の新設を発表しました。
この新工場は、2021年から20年掛けて150機調達するUH-Xの整備をメインとしつつ、UH-Xと設計を同じくする民間型412EPIの整備をも視野に入れています。
UH-Xは、陸上自衛隊で運用する次期多用途ヘリコプターです。陸上自衛隊では、兵員輸送や地上支援、物資輸送等を行う多用途ヘリとして、UH-60JAとUH-1Jの2機種を運用中です。UH-60JAは、より大型で能力が高いものの約40億円と高価なため、大量導入は困難。そこで、小型で能力が限られるものの、1機10億円と安価なUH-1Jを平行して大量導入。両機をミックスして運用することで、能力とコストの最大活用を目指しています。これを、ハイローミックスと呼びます。
ベストセラーヘリコプター。
UH-Xは、1991年の導入開始から30年を経過し順次寿命に達するUH-1Jの置き換えを図るものです。当初は、川崎重工製の偵察(観測)ヘリOH-1をベースにした多用途ヘリを開発する方向だったものの、談合の疑いありとの事で計画は白紙撤回。この代替案として採用されたのが、富士重工(現:SUBARU)の提案するUH-Xでした。
米国のベル・エアクラフト社が開発したUH-1は、1956年に開発された大変息の長い傑作機です。映画「ワンス・アンド・フォーエバー」では、ベトナム戦争で苦闘する姿が映像化されています。それまで、地上兵力を遠く離れた地に投入するには、ゲリラの恐怖に脅えつつ地上を進むか、敵勢力圏の飛行場を急襲して奪取するしかありませんでした。UH-1の登場によって、初めてヘリボーン作戦が実現しました。各UH-1は10数名の兵員と物資を載せて、編隊を組みつつ地上スレスレを飛行して、敵勢力圏に一気に兵力を展開。橋頭堡を確保する戦術を可能にしたのです。その後は、武装型も登場し、上空からの地上支援も実現しています。
UH-1は、一躍ベストセラーとなります。軍用のみならず、警察や民間用としても好評であり、これまで幾度もアップデートを受けて、登場から50年を経ても未だに進化を続けています。当初単発だったエンジンは双発となり、ロータブレードは4枚に進化し、計器類は完全にグラスコックピットへと換装され、最新機種に劣らない性能と息の長いモデルならではの低価格で、今も世界中で運用されています。
その最新版が412EPIであり、UH-Xはこれをベースとしつつ、スバルの技術力でさらなる進化を果たそうというものです。なお、UH-Xおよび民間型の双方の生産は、すべてスバルが日本国内で行う計画です。
武器輸出三原則の見直しと、UH-Xの民間型。
これまで、日本は武器輸出三原則によって防衛装備品を他国に輸出することはできませんでした。その為、国内開発した防衛装備品は製造数が限られているのに加え、開発費を単価に更に上乗せするため、海外の同等品の2倍以上の価格となっていることが問題となっています。単価が高いと予算折衝で装備数が更に削減されるため、さらなる悪循環に陥ります。
ところが、2014年4月に新たに閣議決定された防衛装備移転三原則によって、限定的ながら輸出や共同開発への道が開かれました。UH-Xは、これまでも並行して生産されてきた民間型(仮称:412+)と軍用型の双方を日本国内で生産することで、コストの圧縮を図りつつ、販路を広げようというものです。
陸上自衛隊は2021年から20年を掛けて、150機を順次調達。現用のUH-1Jを置き換える計画です。
手痛い失敗となった、AH-64Dアパッチ・ロングボウ。
スバルには、トラウマがあります。
2001年、AH-1S攻撃ヘリの後継機として次期攻撃ヘリの選定が行われました。これに対し、富士重工は、ボーイングのAH-64Dアパッチ攻撃ヘリのライセンス生産を提案し、めでたく採用が決定。当初は、AH-64DブロックIIというバージョンで62機導入する計画でした。ところが、限られた防衛費の中では年間調達機数が1〜2機という低空飛行!これでは、62機の導入に30年を要してしまいます。
そうこうするうちに、ボーイングがAH-64DブロックIIの生産を終了し、ブロックIII(AH-64E)への移行を決定。防衛省に対し、ライセンス生産の終了を通達してきます。
結局、陸上自衛隊はAH-64Dの導入を何と10機で終了。如何せんそれではマズイと、2011〜2013年に1機ずつ(!!)を追加発注。2002年から11年を掛けたにも関わらず、たった13機の導入に留まってしまったのです。こんな機数では、教育用と整備中の機体を除くと、4〜5機しか使用不可能!
富士重工は、62機の調達計画に基づいてライセンス料や整備投資を行っていたため、13機では回収不可能であり、富士重工は約350億円の支払いを求めて国を提訴。無事回収を果たしています。
ヘリコプターに技術革新は起こるのか。
412+は、基本設計が50年以上を経過した機体です。性能は進化を続けているものの、そのポテンシャルが限られているのは確かです。スバルは、本当にUH-Xと412+で成功できるのでしょうか?
現在、米国を中心にヘリコプター技術に革新が生まれようとしています。
ベル・エアクラフトとボーイングが共同開発したV-22オスプレイは、その筆頭と言えるでしょう。VTOL機と呼ばれるこの種の機体は、ヘリコプターの有するホバリングと垂直離着陸能力と、固定翼機の有する高速性能と航続距離を両立させようと言うものです。オスプレイはティルトローターと呼ばれる、エンジンナセルとプロペラごと回転させるシステムを採用しています。
オスプレイの後継機として開発中なのが、V-280。同じくベルとボーイングによって共同開発中の機体ですが、オスプレイと違ってエンジンは固定で、回転翼のみが向きを変える機構です。機構の単純化によって、信頼性能向上と軽量化を図っています。
この他では、シコルスキーがS-97という機体を開発中です。この機体は、2組のロータブレードを同軸で反転させる二重反転プロペラを採用しつつ、テールエンドに推進用ロータを備えている革新的な機体です。
こうした新世代の機体は成功するのでしょうか?意外にも、航空業界は極めて保守的です。ティルトローター機の民間利用が進まず、1967年に初飛行したボーイング737の生産が今も継続しているように、彼らにとっては革新よりも信頼性が重要なのです。そう考えると、新世代機よりも「古典的」な412+が成功する可能性は充分あるでしょう。
かつては、世界有数の航空機メーカーだったスバル。
スバルは、日本でもっとも古い航空機メーカーの一つです。
海軍技術士官の中島知久平が、創業した中島飛行機はたった20年で急成長を遂げ、三菱と双璧を成す巨大メーカーとなります。知久平の夢は壮大そのもので、群馬県太田市を本拠としつつ、東京都下武蔵野の地に一大研究学園都市を建設する計画を進めていました。しかし、終戦を迎えて、すべては夢幻の如く消え去ります。
波乱に満ちた中島知久平の生涯と、中島飛行機の栄枯盛衰。戦後残された技術者たちのその後など、隠されたストーリーの数々は下記を御覧ください。
クラブ・スバリズム傑作選「スバル・ヒストリー」
パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14451692
中島知久平の生涯を通して、中島飛行機の栄枯盛衰。半田製作所の建設から終焉まで。
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