スバリズムレポート第3弾「ステルス技術の全貌。」完全版:U-2からF-22まで。 [2019年02月06日更新]

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担当:余語

 

一大事!米国本土で極秘の機体が、にぎやかな休日の藤沢に不時着した!

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U-2が不時着した藤沢飛行場。:1961年
国土地理院地図・空中写真閲覧サービスより

U-2のミッションは、対ソ連のみではありませんでした。中国や北朝鮮、ベトナムも重要な戦略目標でした。そのため、U-2は早くから日本の厚木や嘉手納に展開し、数多くの偵察ミッションを実施しています。

1959年9月24日午後3時過ぎ、神奈川県の藤沢飛行場に正体不明の航空機が胴体着陸を敢行します。機体はオーバーランした後、草地でやっと停止します。あってはならない、U-2の不時着事故でした。当日は秋分の日であり、グライダーを楽しむ人々で賑わっていました。U-2は米国の最重要機密ですから、現場はすぐに米兵が封鎖。現場検証に訪れた警察も排除されました。不時着機を撮影した者は、家宅捜索を受けた上に米国の守秘義務誓約書にサインさせられたと言います。この事件は、後に黒いジェット機事件として有名になります。

 

U-2がソビエトに撃墜され、拘束されたパイロットはすべてを自白!

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[左]撃墜された、U-2の残骸。Mikko Tapio Vartiainen, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons
[右]有罪判決を受けるパワーズだが、後に東側スパイのルドルフ・アベルとの身柄交換で釈放されることになる。

 

ホワイトハウスが喉から手が出るほど欲しい情報を、キレイな写真で教えてくれるU-2。ソ連はその存在を苦々しく思っていたに違いありません。もしかしたら、何人かは強制労働行きとなったかも知れません。ただ、ソ連のレーダはU-2を捕捉していたものの、撃墜には至りませんでした。

ところが、U-2にもその日が訪れます。1960年5月1日、フランシス・ゲイリー・パワーズの操縦するU-2が、ソ連上空で対空ミサイルの餌食となったのです。

残骸を回収したソ連は、ここぞとばかりに米国を厳しく糾弾します。対する米国は防戦一方。NASAの気象観測機が操縦不能で、などという戯事を信じる者は何処にもいませんでした。しかも、パワーズは生存しており、ソ連の劇場裁判で自らのミッションが戦略偵察であったことを自白してしまうのでした。

合衆国大統領ドワイト・D・アイゼンハワーは、すべての戦略偵察の停止を指示。米国は、冷戦下の情報戦で圧倒的不利に追い込まれます。

 

空対空ミサイルから逃れるなら、レーダーに見つからなければイイ。

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レーダ反射を減じるため、ワイヤーが張り巡らされた垂直尾翼。
写真出典:CODE ONE MAGAZINE by LOCKHEED MARTIN

CIAは、U-2より高性能な戦略偵察機を求めていました。U-2の天下が、永遠に続くはずがなかったからです。U-2プロジェクトのCIA側の責任者であったリチャード・ビッセルは、スカンクワークスにU-2のレーダ反射断面積低減について検討を求めてきます。

レインボー計画と名付けられたこのプロジェクトに対し、スカンクワークスはいくつかのアイデアを検討します。壁紙と呼ばれたアイデアは、機体表面を電波吸収材料で覆うもので、これはRAM(レーダ波吸収素材)へと発展します。さらに、機体形状の前縁に並行してワイヤーを張り巡らせ、そのワイヤーにグラスファイバー製のボールを取り付けました。これは、機体内部骨格に反射するレーダ波を減じようという努力なのですが、壁紙は機体内部の熱拡散を阻害することが大きな問題となります。

 

絶対に知られてはならぬ、低観測性という未知の性能。

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60年代に開発されたにも関わらず、低観測性技術はまったく適用されず、巨大なRCSを持つF-15。
USAF, Public domain, via Wikimedia Commons

結局、レーダ反射を大きく減じるには、機体の新規開発が必須との結論に至ります。これが、ステルス技術への第一歩となります。第一回会合は、1956年8月16日のこと。終戦から、たった11年。米国は世界に先んじて、低観測性という未知の性能の重要性に気が付いていたのです。

ステルス技術の存在が初めて公にされたのは、1988年11月10日のこと。何と32年後のことでした。米国は30年以上に渡って、ステルスという概念を秘匿し続けたのです。以後、F-4、F-14、F-15、F-16、F/A-18と、米国は世界に誇る傑作戦闘機を開発していきますが、これらにはRCS低減が図られた形跡は一切ありません。F-15などは、とてつもなく大きなRCSを有しています。

ステルスは、計り知れない可能性を持った技術でしたが、決してソ連の手に渡してはならない技術でもありました。もし、RCSが極端に小さいソ連の核爆撃編隊が実現したとしたら。。。

 

敵防空網を抜け穴だらけにする、ステルスの効能。

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左の非ステルス機では、防空網に探知されずに敵地に侵入するのは不可能。一方、右のステルス機では探知距離が短くなるため、防空網に隙間が生まれ侵入が可能になる。

 

レーダ反射断面積(RCS)とは、レーダから照射された電波をアンテナに向かって反射させる能力を示した値です。RCSが小さいほど、レーダスコープ上には小さく表示されますから、RCSを低減すればレーダの被探知を遅らせることができます。つまり、近付くまで探知されません。逆に言えば、防空側は接近された時点で既に手遅れとなります。

防空網は複数の長距離レーダで構築されています。レーダサイトの間隔は、通常の被探知距離を元に決定されているため、RCSが小さい機体なら探知されずに間をすり抜けることが可能です。レーダ反射低減のメリットはここにあります。

 

マッハ3でソ連上空を駆け抜ける、絶対に撃墜できない偵察機。

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亜音速で侵入する敵機に対応する防空網であれば、マッハ3の超高速で敵地に侵入すると、右のように防空網は隙間だらけになる。これを防ぐには、防空網をより濃密にせねばならない。

 

また、音速を超える敵機を確実に迎撃するには、相当に遠方で探知せねばなりません。捕捉後に、撃墜に要する時間を計算に入れねばならないからです。そう考えると、防空用のレーダの性能は、最大探知距離ではなく、実用上はもっと短くなるはずです。これがステルス機であれば、さらに短くなるのです。

国境線に向けた防空網は、非ステルス機にとっては完璧でも、ステルス機に対しては穴だらけ、ということです。ステルスの効能は、まさにここにあります。

スカンクワークスの検討によって、低RCSの機体で80,000ftをマッハ3で飛行すれば、非常に高い確率で撃墜を免れると結論付けられました。

 

あわや大事故。ぜったいにバレてはならない、水素の大量貯蔵の理由。

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スカンクワークスが提案した、水素燃料ジェットエンジンを搭載する機体案。CL-400 Suntanと呼ばれる計画であったが、水素燃料の扱いが困難でボツとなった。 出典:NASA

 

スカンクワークスは、水素燃料を使用するジェットエンジンを用いて巡航速度マッハ2.5を実現する、CL-400というプロジェクトを独自に進めていました。ところが、水素燃料を大量に保管することが危険すぎると分かったがために、1958年にプロジェクトは中止となります。

というのも、タンクから水素燃料が漏れる事故が発生し、危うく新聞沙汰になるところだったのです。スカンクワークスの建屋周囲はみるみる水蒸気に包まれ、騒ぎを聞きつけた消防車が到着します。使命に燃える彼らは、シャッターを開けて中を見せろ、と一歩も引かぬ構え。しかし、消防隊員や一般社員に水素燃料を「なぜ備蓄していたか」がバレては大変です。火花が飛んだだけでも、辺り一帯が吹き飛ぶ大惨事。スカンクワークスの面々は、命からがら「何ともない」と言い張って、お引取りを願ったのでした。

 

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