スバリズムレポート第3弾「ステルス技術の全貌。」 [2019年01月25日更新]

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文責:スバルショップ三河安城 和泉店

お問い合わせ:0566-92-6115

担当:余語

 

上空80,000ft(24,384m)を、マッハ3で駆け抜けろ。

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[左]超音速爆撃機B-58ハスラー。子機搭載案は搭載状態で音速突破できないため、ボツとなった。[右]コンベアが最終的に提出した機体案「キングフィッシュ」。出典:Wikimedia Commons

 

1957年、CIAのリチャード・ビッセルは超音速戦略偵察機の計画を「プロジェクト・ガスト」と命名。マッハ3で80,000ftを巡航する戦略偵察機について、各社に提案を要求します。

海軍は独自に、気球で30,000ftまで機体を吊り上げ、そこからラムジェットに点火して加速する案を提示。しかし、気球の直径が1kmに及ぶとケリー・ジョンソンに看破されて、ボツ。また、コンベアが提案した、超音速爆撃機B-58ハスラーを親機にエンジンを4発搭載する子機を分離する案は、子機搭載状態ではB-58が音速に達しないため、ボツとなります。

1959年7月、ロッキード(スカンクワークス)とコンベアは予備設計とRCSの推定値を提出。コンベアは、B-58の子機をベースに3機のラムジェットエンジンを備える、「キングフィッシュ」という機体案。一方、スカンクワークスはJ58ターボジェットエンジンを2機備える、A-12という機体案を提出します。

そして、1959年8月28日。ケリー・ジョンソンは、CIAからA-12が選ばれたことを知らされます。選定理由は、単に機体性能の優劣だけではありませんでした。スカンクワークスの高度な機密保持能力と、予算内で高度な航空機を設計する能力を含めて評価されたものだったのです。

 

コードネーム:牛車、世界最速の航空機計画。

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ロッキードの機体案の進展。A-11までは円形胴体を採用するのに対し、A-12ではエラを持つそろばん玉状の断面形状になっている。この「エラ」がRCS低減に大きく貢献した。 出典:CIA

 

アークエンジェル(大天使)と呼ばれた当初案の頃は、U-2のプロジェクト名エンジェルにちなんだもので、細長い胴体に直線翼を組み合わせた機体とデルタ翼機が検討されていました。1959年に12機の受注が確定すると、プロジェクト名はオクスカート(牛車)と変わり、A-11と呼ばれた計画案ではデルタ翼機に変化していました。

しかし、A-11ではCIAの要求するRCSを満たしてはいませんでした。

問題は、如何にしてRCSを低減させるか、でした。レーダ波の進行方向に対して斜めに置いた平板では、RCSは決めて小さくなります。これに対し、正対した平板のRCSは極めて大きくなります。また、球体や円柱の場合、レーダに正対する面が存在するため、RCSは大きくなります。また、波長によっては周り込んで放射される電波を考慮せねばならず、さらに不利でした。

 

RCSを低減しつつ、揚抗比を向上させた、驚くべきチャインの効果。

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A-12の実物大モデルは、エリア51で逆さにポールに据え付けられてRCSを測定された。 出典:CIA

当時、航空機の胴体は、構造と空気力学の観点から円筒形が主流でした。しかし、円筒胴体は盛大にレーダを反射します。そこで、スカンクワークスが編み出したのが、チャインでした。

円筒形胴体から左右に鋭く張り出したチャインは、デルタ翼から連続的につながり、RCSを著しく低減しただけでなく、機体の揚抗比にも良い影響を与えました。また、垂直尾翼は内側に傾斜させた他、機体全体を滑らかに整形して、RCS低減に配慮していました。

このA-12という機体案は、そのままこの先進的な偵察機の正式名称となります。

 

マッハ3.2での巡航を可能にした、空前絶後の画期的ジェットエンジンJ58。

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出典:Wikimedia Commons

A-12に搭載すべくプラット&ホイットニーが開発したJ58は、空前絶後の極めて画期的なジェットエンジンでした。最大の特徴は、対気速度と外気圧に合わせて、エンジン様式が変幻自在に変化したことです。

エンジン先端には、速度に合わせて位置が変化するノーズコーンを設置。また、エンジン各部に「ドア」が設けられており、その開閉によって空気は多様な経路を辿るよう設計されていました。極めつけは、6本のバイパスダクトで、マッハ3周辺ではこのエンジンをバイパスジェットに生まれ変わらせます。J58は、常に最高の推力が得られるようにすべてが緻密に制御されていたのです。

マッハ3.2に達する時、ノーズコーンは最後方まで後退しています。空気はインテーク内で減速しつつ自ら圧縮されていき、バイパスダクトを経由した空気は、アフターバーナーに達して一気に膨張。莫大な推力を発生させます。この状態では、エンジンコアが発生する推力は全体の20%に過ぎず、80%の推力はインテークダクトのラム圧縮で生み出していました。

J58の最大の欠点は、アフターバーナーの点火に時間差があることで、超音速ダッシュ時に予期せぬ急激なヨーを発生させる可能性がありました。これは、後にエンジン制御が完全にデジタル化されるまで、解決されませんでした。

 
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[左]アフターバーナーに点火したJ58は、最大推力151.24kNという途方もない出力を発揮する。排気炎の明るく輝く部分は、ショックダイアモンドと呼ばれる。出典:Wikimedia Commons
[右]側面に見える3本のパイプが、バイパスダクト。J58無くして、A-12の誕生はあり得なかった。 Greg Goebel [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons

 

ソ連産のチタンで作られた、ソ連を偵察する戦略偵察機A-12。

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[左]空力加熱によって上昇する、機体表面の温度分布。なお、単位は華氏。[右]チタンは切削性が悪いため、スカンクワークスでは工具から作らねばならなかった。 出典:CIA

 

立ちはだかる問題は、まだまだありました。マッハ3に達すると、機体は空気との激しい摩擦によって熱せられてしまうのです。これを空力加熱といい、計算上では500度以上に達するはずでした。

この温度域にはアルミ合金は使用できません。強度を失って、アメのように溶けてしまうからです。そこで考えられたのは、スチール。しかし、耐熱性の要求は満たすものの、その重量が問題でした。機体が重くなるほど、エンジンは大きく燃費は悪化します。すると、燃料搭載量を増やさざるを得ません。最終的には、航続距離を犠牲にせざるを得なくなって、要求性能未達に陥ります。

スカンクワークスが選んだのは、チタン合金でした。A-12は、機体全体が総チタン製という前代未聞の難関に挑むことになります。最大の課題は、これだけ大量のチタンを何処から調達するか、でした。米国内の備蓄では足りなかったのです。A-12用にかき集められたチタン。原産国表記は、何とソ連でした。

スカンクワークスは、チタンの持つ最悪の切削性に悩まされます。ドリル等の工具が次々にダメになってしまったのです。結局、彼らはA-12よりも先に工具の設計をせねばなりませんでした。

 

機体も、エンジンも、燃料も、潤滑油まも。すべてが専用品。

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[上]KC-135Qから空中給油を受ける、複座練習機のA-12B。KC-135Qは、専用燃料JP-7をA-12に空中給油するための専用機。出典:Wikimedia Commons

[右]空中給油のために接近するSR-71。主翼上面に見える筋が、JP-7が漏れて流れ出た跡。マッハ3では空力加熱でパネルが伸び、シーリングが完全になる。出典:US AirForce

 

続いて問題となったのは、潤滑油と燃料です。空力加熱によって機体全体が300度に達するので、揮発性と引火点の問題から、通常のジェット燃料が使用できないのです。

そこで燃料に採用されたのは、JP-7と呼ばれる新開発の専用ジェット燃料。JP-7は、マッチを投げても火が付かないほど安定性が高く、エンジン始動やアフターバーナー点火には有毒なトリエチルボランが用いられました。

また、潤滑油にはシリコンをベースとしたグリスを使用したため、始動時には予熱して十分溶かす必要がありました。

空力加熱によって機体が伸びることを考慮して設計してあるため、冷間時にパネルの隙間から燃料が染み出すのは仕方ないことでした。そのため、地上での待機中は機体の下にバットを並べて、ボタボタ垂れる燃料を受けてやらねばなりませんでした。これから命を機体に預けるパイロットには、余り気持ちのいい光景ではありません。

A-12は、地上ではすべての燃料を搭載せず、領空内で空中給油を実施。満タン状態からマッハ3に加速するのが、通常のミッション形態でした。

 

危うくハードランディングとなるところだった、冷や汗モノの初飛行。

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チタン地のまま飛行する、A-12。A-12のすべてのテストは、秘密基地であるエリア51で行われた。
そのため、写真が公表されるようになったのは最近のことである。出典:Wikimedia Commons

 

A-12の初号機の完成に、J58は間に合いませんでした。その為、当初の試験は推力に劣るJ-57を搭載して行われました。

初飛行は、ちょっとした事故でした。1962年4月25日。僅かな燃料しか積んでいなかったために、タキシーテスト(滑走試験)中に不意に浮き上がってしまったのです。テストパイロットのルー・シャルクは慌ててスロットルを戻し、半ば強引に着地!機体はドンッと接地したものの、砂塵に包まれたのです!

砂塵の中に消えた、A-12。ケリー・ジョンソンは、危うく心臓発作に見舞われるところでした。

大きなトラブルにはならず、翌日には正式に初飛行。その後の試験は順調に進み、J57のままでもマッハ1.6に到達しました。並行して生産も進捗し、最初の5機がJ57搭載で完成しています。

1963年にはJ58の本格搭載を開始し、設計通りマッハ3を突破してケリー・ジョンソンを安心させました。

 

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