スバルショップ三河安城の最新情報。クラブ・スバリズム特別編「トヨタ・ルマン挑戦の歴史」| 2018年7月7日更新

 

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1992年、1993年:トヨタ、遂に優勝候補となるも、悲願達成成らず。

翌1992年はエントリーが史上最少に落ち込み、史上最も寂しいルマンとなりました。メルセデスとジャガーは、1991年をもって撤退。マツダは、ジャガーの中古シャシーでの参戦となります。

話題の中心は、2大ワークスの全面対決。優勢だったのは、前年から参戦を開始した地元プジョー。名将ジャン・トッド率いるプジョー・スポールは、3台の905を投入。必勝を期していました。

そして、もう一方の雄はトヨタ。トヨタは、トニー・サウスゲートがデザインしたTS010を開発。1992年の開幕戦では、見事初優勝を飾っていました。遂に、トヨタは総合優勝を狙う体制を構築したのです。TS010を3台擁して、プジョーに挑みます。

決勝は、スタートから雨。その中、勇躍トップに立ったのは何とマツダ。その後方で、3rdカーのプジョーがトヨタのエースカーに追突!以後、トヨタは防戦一方の戦いとなります。ピットストップが早いプジョーは、上位を完全に独占。マツダは、マイナートラブルで次第に遅れていきます。優勝はプジョー。トヨタは何とか2位を獲得して体面を保ちますが、最後はミスファイアでヒヤヒヤのフィニッシュ。この後、トヨタはSWCでは1勝もできず、905の後塵を拝し続けるのです。

翌1993年、エントリーの足りないFIAはSWCを中止。グループC時代は、FIAの愚策によって終焉を迎えます。そこで、ACOは世界中から広くGTマシンをかき集めて何とかエントリーを確保。結果的に、F1に匹敵する性能を誇るワークスマシンと、プライベータのGTカーが、狭いコース内で交錯する危険なレースとなります。

選手権がないプジョーとトヨタは、徹底した事前テストを実施。たった一度の大勝負に向けて、準備万端でルマンを迎えます。しかし、絶望的なポテンシャル差は開く一方。天候に恵まれたこの年のルマンは、プジョーの天下となります。トヨタ勢は、ミッショントラブルを頻発。プジョーは、難なく1-2-3を独占する圧倒的な結果に終わります。

プジョー・スポールが開発した905は、細身のモノコックにタイトなキャビン、軽量コンパクトなV10エンジンと、ミッドに配したコンパクトな冷却系と、F1とまったく同じパッケージングを有していました。低ドラッグ、高ダウンフォースの理想的なエアロダイナミクスを持っていたのです。

一方のTS010は、旧世代マシンと同等のシルエットを持ち、フロントにラジエータを配する、古典的なレイアウトでした。空力効率が悪く、ダウンフォースを増やすには、盛大なドラッグを覚悟するしかありませんでした。

似て非なる両者には、プジョー905とトヨタTS010には絶対的なポテンシャル差があったのです。その差は如何ともし難く、遂にぞ打開できぬまま、トヨタの「夢」は木っ端微塵に打ち砕かれたのです。

 

1994年:加藤眞、ルマン制覇まであと50分。最大のチャンスを逃す。

翌1994年、ルマンは大変革を断行します。まず、この年限りでグループCを廃止、代わりにGTカーを選手権の主役に据えることにしたのです。ところが、ここで前代未聞の事件が発生します。

何と、ポルシェが962Cでナンバーを取得!完全なるレーシングカーであったはずの962Cが、GTカーになってしまったのです。さすがの卑怯な手法に気が引けたのか、エントリー名はダウアー・ポルシェとして「隠れワークス」としてルマンにエントリーします。

対するトヨタは、最終進化版の旧規定Cカー94C−Vを2台プライベートエントリー。サードとトラストから、1台ずつの参戦となります。但し、その性能は大幅に絞られていました。

決勝は、ポルシェとトヨタの争いとなります。基本設計が新しいトヨタが優勢で、サード・トヨタがルマンを長くリードしていきます。夜が開け、朝が来て、正午になり。。。刻々と残り時間は減っていきます。遂に、トヨタの初優勝がなるか、そう思えた午後3時過ぎ。残り、たった50分。94C−Vはグランドスタンド前でユルユルとストップ。何とか1周して修理を終えた頃には、2台のポルシェがすっかり先行。

加藤眞は、94C-Vに追撃を命じます。エディ・アーバインは2位奪還を目指してポルシェを猛追。ポルシェをパスしたのは、チェッカー寸前でした。トヨタは最大の好機を逃し、再び2位に終わります。残り、50分!もう、これ以上の悲劇は起こるまい。そう誰もが考えていました。。。

 

1997年:日産が、再び繰り返す悪夢。

1995年以降、必勝体制を敷く日本勢はしばらく現れませんでした。しかし、マクラーレンのワークス・チームに招聘された関谷正徳が、1995年に見事日本人初優勝。この頃、トヨタ、日産、ホンダがGTマシンを持ち込んで挑戦するも、優勝争いに食い込むような活動ではありませんでした。

次に、ルマンにワークスチームを送り込んだのは、日産でした。TWRから提案されたのは、中古のXJR-15というロードゴーイングカーを、日産製エンジンで仕立て直してナンバーを取得する、というものでした。日産は、歴戦の3.5LV8ターボを提供。1997年のルマンに、ワークス体制として3台のR390を持ち込みます。

結末は、最悪でした。R390は、車検でトランクスペースの不備を指摘され、トランスミッションの冷却に問題が生じます。決勝では、予備のミッションまで全てを使い果たす惨状。何を考えたのか、日産は外人ドライバーのマシンからミッションを剥ぎ取ってリタイヤさせると、日本人トリオのマシンに移植するという暴挙。日産は、恥も外聞も捨てたものの、何とか完走を果しただけでした。

 

トヨタ、満を持してルマンに復帰。究極のGTマシン、TS020現る。

1999 Toyota TS020 GT-One

1998年、トヨタが遂に復帰を果たします。WRCに参戦していたトヨタは、ドイツ・ケルンに巨大なファクトリー(現:TMG、当時のTTE)を構えていました。TTEは、かつてプジョー905をデザインしたデ・コルタンツを主任技術者として招聘。コルタンツは、極めて前衛的なTS020をデザインします。

極限まで絞り込まれ、高く持ち上げられたモノコックのお蔭で、フロントのアンダーフロアで協力なダウンフォースを発生。巨大なリヤウイングと低いリヤカウル、巨大なディフューザが、リヤでもさらに強大なダウンフォースを生み出していました。

エンジンは、かつてのグループC用3.5LV8ターボ。特筆すべきは、TS020用のエンジンがすべて在庫品!だったこと。各地に所蔵されていた古いグループCカーからエンジンを外し、分解して徹底リニューアル。最新のエンジンに生まれ変わらせていたのです。

TS020がテスト走行を開始した時、世界のモータースポーツファンは大混乱となります。これは、果たして、本当にGTカーなのか?テストシャシーじゃないのか?TS020は、先進的なGTマシンではなく、「1998年」の新規定グループCに違いありませんでした。

心配とは裏腹に、トヨタはしっかりEUの規定に適合させて、ナンバーを取得。ルマンに、堂々と3台のTS020を持ち込みます。

 

5大ワークスが激突する、GTマシンの競演。優勝候補最右翼のトヨタ、またしても果たせず。

トヨタの対抗馬となったのは、ポルシェ、メルセデス、BMWのドイツ勢。ポルシェは、911GT1-98というこれまたCカーまがいのマシンを2台投入します。メルセデスは「ちゃんとGTカーに見える」CLK-LM98を開発し、2台を投入。BMWは、オープントップの純レーシングカーV12LMを、ウィリアムズで開発。これまた2台での参戦となります。日産は、R390の信頼性を徹底改善。スピードは無いものの、24時間後の上位入賞を目指します。

下馬評は、トヨタ優勢。ところが、決勝は予想外の展開となります。メルセデスとBMWが、序盤で姿を消してしまったのです。これで、レースはトヨタとポルシェの一騎打ち。トヨタは、計画通り圧倒的なスピードでリード。壊れたミッションは、数10分で交換。遅れを再び取り戻すという、荒々しい展開を繰り広げます。しかし、作戦は失敗に終わります。

13.6kmの長いコース故に、ピットまで帰還を果たせなかったのです。優勝は、ポルシェ。1-2フィニッシュでした。

3位は、日産。日本人トリオが、初めてルマンの表彰台(※クラス優勝を除く。)に登りました。

 

空前絶後、ワークスチームの豪華共演。トヨタ、再び2位に終わる。



翌1999年、ルマンは史上空前のワークス対決となります。メルセデスは必勝を期して、ルマン専用のニューマシンCLRを開発。これを3台持ち込みます。BMWは、2台のニューマシンV12LMRとバックアップで2台のV12LMをプライベータで参戦させる強力な体制。ここに加わったのが、アウディでした。アウディはイギリスでGTマシンを、ドイツでオープントップのマシンをそれぞれ開発。2車種計4台を持ち込む気合の入れようでした。

日産は、新規開発のオープントップマシンR391を開発。派手さはないものの、確かな実力を備えていました。ところが、予選で1台がクラッシュし全損。決勝には、1台で挑むことになります。

最強マシンのトヨタTS020は、1999年へ向けて更なる発展を果たしていました。前年に問題となった劣悪な燃費は、アンチラグシステムの改良によって改善を図っていました。徹底したテストを実施して、必勝体制を確立したトヨタは、優勝の最右翼。この年も、3台を投入しています。

ワークス対決の過熱ぶりがもたらした災厄か、決勝を前に大事件が発生します。メルセデスのCLRが、2度の離陸事故を起こし全損。決勝には、2台のみ出走することになったのです。

そして、決勝スタート。序盤から、スプリントさながらの激しいレースとなります。トヨタは1−2体制を確立し、優位にレースを展開していきます。しかし、BMWは良好な燃費を武器に、トヨタ勢に食らいついていきます。

この年のルマンのハイライトは、ルマンが暗くなり始めた頃。メルセデスCLRがTS020の後方で、三度目の離陸!!空中で数回転した後、コース外へ飛んでいく大クラッシュ!幸い、ドライバーに大きな怪我は無かったものの、メルセデスは直ちに撤退を決定。最後の1台を呼び戻すと、シルバーアローが再びルマンに現れることはありませんでした。

これで、レースはトヨタとBMWの一騎打ちの展開。しかし、1スティントを2周多く走れるBMWは、TS020を徐々に追い詰めていきます。そして、深夜。相次いで2台のTS020がクラッシュ。トヨタは一気に劣勢になります。ところが、明け方には17号車のBMWもクラッシュ。双方1台ずつのワークスマシンで雌雄を決することになります。

序盤、ペースを抑えていた日本人トリオの3号車トヨタは、明け方から猛然とペースアップ。計算上では、ゴールまでには15号車BMWをパスできるはずでした。ところが、BMWはプライベータのV12LMにブロックを指示。BMWは、ミュルサンヌを蛇行しながら、露骨にブロック。幾度も先を塞がれた片山右京がダートに飛び出した結果、タイヤを激しくバースト。350km/hから命からがら生還を果たすも、そのロスは致命傷でした。トヨタは、再び2位に甘んじることになります。

優勝したBMWのV12LMRですが、車両規定違反との説があります。当時、オープントップのプロトタイプカーには、運転席と助手席の双方をカバーするロールバーの設置が義務付けられていました。ところが、片側しかロールバーがないV12LMRは、なぜか車検を通過。しかも、優勝まで果たしています。3号車への妨害行為といい、BMWのやり方は褒められたものではないでしょう。

 

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